
Tazaki財団の皆様には、日頃より多大なご支援をいただき、誠にありがとうございます。
入学してから、あっという間に一年が経過しました。前回のレポートでは、日本の大学で過ごしたギャップイヤーとケンブリッジ大学での経験を比較し、教育環境や学生の主体性について考察しました。その中で、優れた環境が存在することと、学生がその環境を活用できることは、必ずしも一致せず、最終的に何を学び、どこまで踏み込むかは学生自身に委ねられていると述べました。
それから一年間、ケンブリッジ大学数学科で講義やExample Sheet、Supervisionでの議論、そして一年間の学習成果を問うTriposの試験を経験する中で、学ぶとはどういうことなのかについて、改めて考えるようになりました。今回は、こうした経験を踏まえ、数学科における試験に焦点を当てながら、大学で学ぶことについて考えてみたいと思います。
1.理解することと、試験で求められること
高校までの数学と比べると、大学数学では定義や定理、証明など、覚えておかなければならない内容がかなり多いと感じます。その中で改めて実感するのは、理解することと、試験という環境の中で問題を解けることは、必ずしも同じではないということです。
講義を聞きながら定理の証明を追えば、その場では理解できたように感じることがあります。しかし、数日後にExample Sheetを開き、自分一人で問題を解こうとすると、全く手が動かないことがあります。解答を読めば理解できる問題であっても、白紙の状態からその発想を自分で生み出すには、さらに一段階必要です。
数学科では、その先に試験があります。学年中には講義、Example Sheet、Supervisionがありますが、最終的な成績は基本的に学年末のTriposによって決まり、授業への出席やSupervisionへの取り組み自体が、そのまま成績に加算されるわけではありません。
試験にはBookworkと呼ばれる部分があり、講義で扱われた定義や定理、証明などを何も見ずに再現することが求められます。意味を理解していても、試験会場で白紙から証明を再現できなければ、点数にはなりません。そのため、理解した内容を何度も自分で再現し、必要なときに頭から取り出せる状態にしておく必要があります。
結局、試験で良い点数を取るためには、どれだけ繰り返したか、どれだけ時間をかけたか、に左右される部分もかなり大きいと感じました。ただ、最初はほとんど暗記するように覚えていた証明でも、何度も白紙から再現しているうちに、なぜここでこの仮定が必要なのか、なぜこの順番で証明するのか、と理解が深まることがあります。暗記と理解は完全に切り離せるものではありません。
一度講義を聞いて理解した状態と、何度も自分で使う中で、その構造まで自然に見えるようになった状態では、同じ理解しているでも、その深さは大きく異なります。そして、その理解の深さそのものも、対象にどれだけ触れ、自分の頭でどれだけ考えたかによって変わっていくのだと思います。
2.試験では何の数学の能力を評価しているのか
自分の所属するカレッジはMature Collegeであることもあり、大学院生やPart IIIの数学科の学生と話す機会が比較的多くあります。Part IIIは修士課程相当のコースで、ケンブリッジの学部からそのまま進む学生だけでなく、他大学から来る学生も多くいます。同じカレッジでも、Harvard、Yale、UC Berkeleyなど、アメリカの大学で学部教育を受けてきた学生と会うことがあり、彼らと数学教育について話していると、その違いを興味深く感じます。
例えば、Harvardで数学を学んでいた学生からは、学部時代に履修していた授業では、問題を渡されてから一週間ほどかけ、ノートなども参照しながら解答を完成させ、その提出物が成績評価に使われていたという話を聞きました。限られた時間の中で問題を解く試験には、それほど重きが置かれていなかったそうです。
もちろん、日本の大学でも、期末試験やレポートなど、授業の内容や担当する先生によって評価方法は大きく異なります。一方、ケンブリッジでは、学年末の限られた試験時間の中で、自分の頭の中にある知識を使って、多くの問題を解かなければなりません。
数学科の試験では、4問の必須問題に加えて、8問の中から5問を選択し、3時間で解答します。単純計算では1問あたり20分ですが、全9問を十分に解き切ることはかなり難しいと感じます。さらに、こうした試験を4日間にわたって受けます。そして、規定された一定の基準を満たせなかった場合には、再試験の機会もなく退学となります。
このような試験では、単に知識を身につけているだけでは十分ではありません。限られた時間の中で、必要な知識を正確かつ素早く引き出し、問題の本質を見極め、答案として形にする力が求められます。
もちろん、大学や科目によって評価方法は異なるため、アメリカとイギリスという単純な比較はできません。ただ、評価方法が違えば、学生が普段どのような能力を鍛えようとするかも変わってくるのではないかと思います。
時間をかけ、必要に応じて調べながら、一つの問題について考え抜く能力。一方で、限られた時間の中で、自分の中にある知識を素早く取り出し、問題を見極め正確に答案を作る能力。どちらも数学をする上で必要ですが、同じものではありません。
実際の研究では、文献や計算機など様々なリソースを使いながら、時間をかけて問題に向き合うことができます。その意味では、研究者を育てるという観点からは、前者のような能力も非常に重要なのではないかと感じます。一方、ケンブリッジの学部教育では、少なくとも試験においては、後者の能力が強く求められています。
ケンブリッジで求められる能力は、ある意味では日本の大学受験にも似ていると思います。Part IIIの学生と話していても、学ぶ内容が専門的になっても、短期間で大量の内容を学び、最後には試験に備えるという基本的なサイクルは大きく変わらないようです。彼らからすると、ケンブリッジ数学科の学部生は、アメリカの大学で数学を学ぶ学生と比べても、相当な量を勉強しているように見えるそうです。
3.自分で自分を教えるということ
アメリカの大学から来たPart IIIの学生と話していると、ケンブリッジの特徴として、講義で扱われる内容の多さを挙げる人がいます。自分自身、Part IAを一年間経験して、同じことを感じました。
一つ一つの疑問について授業中に立ち止まるというより、限られた学期の中で大量の内容を扱っていきます。一つの講義で扱われる内容も多く、その場ですべてを消化することは難しいです。結局、講義後に自分でノートを読み直し、必要であれば教科書や別の資料を調べ、Example Sheetを解きます。それでも分からなければ、友人と話したり、Supervisionで質問したりしながら、自分なりに理解していくことになります。ある意味では、実際の学習の多くは講義の外で起きています。
何が分かっていないのかを自分で認識し、どこまで戻って勉強し直す必要があるのかを考える。必要な資料を探し、それでも分からなければ周囲に聞く。この一連の判断を、自分自身で行わなければなりません。
そう考えると、この教育を通して身につけているものは、数学で何を学んだかだけではないように思います。新しい内容を与えられたときに、自分に何が足りないのかを見つけ、自分なりの方法で学べるようになること。つまり、何を学んだかだけでなく、どのように学べるようになったか、ということも大学で学ぶ重要な部分なのではないかと、一年を終えて感じるようになりました。
4.生成AIが問題の答えを簡単に出す時代に、自分で考える意味
この一年、学ぶということを考える中で、AIの存在についても考えるようになりました。現在のAIは、大学数学についてもかなり高度な問題を解き、完成度の高い証明や解答を作ることができます。
そうなると、自分で問題を解くことには何の意味があるのだろうか、と考えることがあります。答えそのものを得ることだけが目的であれば、AIを使った方が速い場面は今後さらに増えていくと思います。社会に出れば、成果を出すためにAIを適切に使うことが求められる場面も増えていくでしょう。
一方で、学生は少し特殊な立場にいると思います。成果物を作るだけでなく、その過程を通して自分で考えられるようになること自体が、学ぶ目的の一つだからです。
AIに解かせれば楽ですし、生成されたものを読めば、自分自身も理解したような気になります。しかし、それだけで、試験会場で白紙を渡されたときに、自分で同じ考えを生み出せるようになるわけではありません。
問題が分からない状態で考えること。間違った方法を試すこと。何時間考えても解けず、最後に解答を読んで、自分がどこで考え違いをしていたのかを知ること。効率だけを見れば無駄に思える時間ですが、その過程で初めて身につくものもあると思います。
AIに聞けば数秒で答えが出る問題について、一時間自分で考えることは、成果物だけを比較すれば意味がないかもしれません。それでも、一時間後の自分自身は違っているかもしれない。大学で学ぶ意味は、そうした時間の中にもあるのではないかと思います。
そのため、数学を勉強するときには、まず可能な限り紙とペンで考えることを大切にしたいと思っています。もちろん、AIを使わないという意味ではありません。分からない概念について別の説明を求めたり、自分の証明を確認したりすることにも使えます。何をAIに任せ、何を自分自身のためにあえて考えるのか。その区別を意識していきたいです。
大学には、就職活動に力を入れている人、起業やビジネスに取り組んでいる人、研究を始めている人など、様々な学生がいます。自分自身も大学の外で様々な活動に関わっており、勉強だけが大学生活の全てだとは思いません。
それでも、直接的な成果や実用性を求められることなく、一つの学問について何時間も考えられるのは、学生である今だからこそできることでもあります。数学の定理について時間をかけて考えたり、今すぐ何かの役に立つわけではない内容を学んだりすることも、今だからこそできる贅沢なのだと思います。
前回のレポートで書いた、優れた環境が存在することと、学生がその環境を活用できることは、必ずしも一致しないという考えは一年を経た今も変わっていません。
ただ一年間学んでみて、大学で得るものは、知識や成績だけではないとも感じるようになりました。自分が何を分かっていないのかを認識し、それを学ぶために何をすればよいのかを自分で考えられるようになること。それも、大学で学ぶ意味の一つなのだと思います。
まだ数学科での学生生活は続きます。学ぶことそのものに時間を使える今の環境を大切にしていきたいと思います。