
改めまして、Christ’s Hospital卒業後にギャップイヤーを取得し、この10月よりケンブリッジ大学に入学しました。ギャップイヤーは、語学留学やインターンシップ、個人活動など様々な活動に充てられることが多く見られますが、自分の場合は日本の大学に在籍し、正規の学生として約一年半を過ごしました。その中で、日本の大学教育や研究環境を内側から経験する機会を得ることができました。当初はImperial College Londonへの進学を前提としてギャップイヤーを取得していましたが、高校卒業前に受験していたケンブリッジ大学のSTEPにおいて合格基準を満たしていたことから進路を検討し、制度上合格を保持したまま他大学受験は認められていなかったため、改めて受験を行うという選択を取りました。
今回のレポートでは、この日本の大学での経験を踏まえ、ケンブリッジ大学に進学してから感じた学業環境の違いや、自身の学びに対する考え方の変化について述べたいと思います。特に学部生として、学問にどのように向き合うことができる環境であるかという点を中心に記します。なお日本の大学に関する記述は、日本の大学全体を代表するものではなく、あくまで特定の大学における個人的経験に基づくものである点をあらかじめお断りします。
こうした進路上の選択や試行錯誤を含めた学びの機会を尊重し、支えてくださった財団の皆様ならびに関係者の方々に、この場を借りて感謝の意を表したいと思います。
1.ギャップイヤーとしての日本の大学での経験
ギャップイヤー期間中は、日本の大学に在籍し、正規の学生として約一年半を過ごしました。一般的なギャップイヤーの過ごし方とは異なり、大学の制度の中に身を置いたこの期間は、将来の進路を見据えながら、自身の学問観や大学教育に対する考え方を深める貴重な時間となりました。
日本の大学での経験を通して強く感じたのは、「優れた環境が存在すること」と「学生がその環境を活用できること」は必ずしも一致しないという点です。優れた教授陣、研究設備、学内外のネットワークといった環境は整っている一方で、それらは学生が自ら主体的に働きかけて初めて意味を持ちます。大学という教育機関の構造上、どのような学びを選択するかは学生自身に委ねられていることを実感しました。
例えば、必修科目を履修しつつ、成績評価の観点から比較的負担の少ない授業を選択することも一つの方法として存在します。一方で、授業後に教授のもとを訪ねて質問を重ねたり、自ら研究室に連絡を取り、勉強会や研究活動に参加したりすることで、学部生の段階から研究プロジェクトに関わることも可能です。同じ制度・同じ環境に身を置いていても、学生の姿勢によって得られる学びの密度は大きく変わってくると感じました。
また、在籍していた大学は「産学官連携」を掲げており、民間企業・大学・政府機関が地理的にも近接する環境にありました。授業や課外活動を通じて、企業や省庁を訪問したり、関係者の方々から直接話を伺ったりする機会も多く、学外に開かれた環境が整っている点は大きな強みであると感じています。
振り返ってみると、日本の大学での学びは、高い自由度の中で主体性を強く求められるものでした。何を学び、どこまで踏み込むかは自身の選択であり、その自由をどのように使うかによって、大学生活の質は大きく左右されます。この主体性が問われる自由を実際に経験したことは、その後ケンブリッジ大学で学ぶ中で、学業環境を相対的に捉えるための重要な基盤となっています。
2.ケンブリッジ大学で感じる学業環境の違い
ケンブリッジ大学に進学してからも、最終的には自身が何に重きを置くかという点に変わりはありません。ただ、日本の大学で経験した学業環境と比較すると、ケンブリッジ大学の教育制度は、学生の主体性に委ねる余地の大きさという点で、明確に異なる設計思想を持っていると感じています。
ケンブリッジは学術都市としての性格が強く、学業以外の要素が相対的に限られています。そのため、良くも悪くも学問に向き合うことから距離を取ることが難しく、常に学業を中心とした生活を送ることになります。日本の大学における主体性が問われる自由とは対照的に、学問から離れる余地そのものが制度的に小さい環境が整えられているといえます。
特に印象的であるのが、Supervisionと呼ばれる少人数指導の仕組みです。数学科では、週に数回、教授一人に対して学生二名程度という少人数での指導が行われます。事前に解いた課題をもとに議論する形式であるため、理解の不十分な点や思考の甘さはすぐに明らかになります。表面的な理解では通用せず、弱点に自然と向き合わざるを得なくなり、早い段階で課題を把握し、改善につなげることができる合理的な仕組みであると感じています。
また、Director of Studiesと呼ばれる教員が制度として割り当てられており、履修計画や学業上の相談を行う窓口が明確に定められています。教授との距離は近い一方で、与えられる助言をどのように受け取り、どのように行動に移すかは学生自身に委ねられています。手厚い指導体制と高い自立性が同時に要求されている点も、ケンブリッジ大学の特徴であるといえます。
このような環境の中で学び始め、日本での大学で自由度の高い環境を経験していたからこそ、ここでの逃げ場のない学問設計は、単なる厳しさではなく、学問に集中するために意図的に構築された制度であると感じています。
3.日本の大学における教養教育制度を振り返って
ケンブリッジ大学で学び始めた今だからこそ、在籍していた日本の大学における教養教育制度の意義を、より明確に実感するようになりました。学部前半の段階において、将来進学する専門分野に必ずしも限定されることなく、幅広い分野の教授や学問領域と接点を持つことができた点は、自身の関心や適性を相対化しながら進路を主体的に考える上で、とても有意義な時間であったと振り返っています。
もっとも、学生によっては、後期以降の希望学部への進学振り分けを重視し、高得点を得るために比較的成績を取りやすい授業を中心に履修したり、必要最低限の単位取得にとどめたりするなど、制度の中で選択を最小限に抑える場合もあります。そのような場合には、教養学部の制度が本来持つ意義が十分に活かされない可能性もあります。一方で、学生一人一人が多様な分野の教授と出会いやすい構造を持っている点は、強みの一つであると感じました。
この点は、ケンブリッジ大学において、カレッジを単位として異なる分野の学生や教授と日常的に交流する機会が設けられていることとも共通していると考えています。また、ケンブリッジのDirector of Studiesに近い役割として、日本の大学においても、学部による差はあるかもしれませんが、後期課程の学生や前期課程でも推薦入試で入学した学生を中心に、メンター教員を配置される制度が存在しており、指導の密度や関与の度合いには違いがあるものの、学業面での相談や助言を行う仕組みは一定程度整えられていると認識しています。
4.研究者としての進路観について
理系分野においてアカデミアの道を志す場合に限った議論ではありますが、日本の大学における理工系教授の方々と、海外大学の教育・研究環境について意見を交わす機会がこれまでに何度かありました。その中で、日本の大学とイギリスやヨーロッパの大学とでは、研究に触れるタイミングや位置づけが大学によって異なる、という点を意識するようになりました。
日本の環境が整っている大学では、学部生の段階から比較的小規模な研究室でも、最先端の研究に触れる機会が得られる場合があります。その後、修士・博士課程を経て、海外の研究機関へポスドクとして進むという進路は、研究者として有力なのではないかという仮説があります。一方で、イギリスの大学では、学部・修士課程を通じて必ずしも研究に深く関与するとは限らず、試験や講義を中心とした体系的な教育が重視されている点に特徴があります。これは、イングランドの学部は三年間であることにも関係しているのかもしれません。
ただ自分はまだ学部生の段階にあり、理系の中でも分野に依るところはありますが、研究に早い時期(卒論など)から触れることが一般的なアメリカや日本の大学と比較して、イギリスの大学におけるこの教育・研究のエコシステムが、どのように研究者養成へとつながっているのかについては、引き続き考えていきたい点でもあります。その中で感じるようになったのは、「海外の大学に在籍していること」そのものよりも、「どの段階で、どのような環境に身を置くか」の方が、研究者としての成長においては本質的に重要なのではないかという点です。
学部生の段階で海外大学に在籍していることは、日本の大学に在籍している場合と比べて、研究職を目指す上で必ずしも有利・不利を決定づけるものではないと感じています。もちろん、これは専攻分野や研究室の規模、研究資金の状況、共に研究するメンバーなどによっても変わってくるところはあるでしょう。
5.世界大学ランキングに関して
近年、大学を語る際に世界大学ランキングがしばしば参照されます。研究成果の量や国際的な可視性を測る指標として、一定の意義はあると感じています。一方で、日本および英国の大学に実際に身を置いて学んでみる中で、ランキングの数値だけでは捉えきれない要素が、学生の学びの質を大きく左右していることも強く実感しました。
世界大学ランキングは、論文数や被引用数といった研究機関としてのパフォーマンスを重視して算出されることが多く、学部教育の設計や、学生がどのような環境で学問と向き合っているかといった点は、必ずしも十分に反映されていません。学生一人当たりの教員数など、教育に関する指標も一部存在しますが、それだけで教育の質を測ることには限界があると感じています。
日本の大学とケンブリッジ大学を比較してみても、ランキング上の位置づけ以上に重要なのは、学生がどのような支援の構造の中で学び、どの程度の主体性を求められるかという点であると感じています。いずれの大学においても、学生が自ら求めていけば、それに応えてくれる教授陣が存在しており、最終的には学びの深さは学生自身の姿勢に大きく委ねられています。
学部教育の水準や学生の能力という点において、世界大学ランキングの順位のみを根拠に、日本の大学の学生がケンブリッジ大学の学生に比べて劣っているとは全く思いません。仮に違いがあるとすれば、それは学生の能力の差ではなく、大学が提供する学業環境や教育制度の設計思想の違いに起因するものであり、大学を評価する際にはこうした点にも目を向ける必要があると考えています。
6.今後に向けて
ケンブリッジ大学での学生生活は、まだ始まったばかりです。これまで日本と英国の大学で学んだ経験を通して、学びの質は「どのような環境の中で、どのように学問と向き合うか」によって大きく左右されることを実感してきました。
今後は、この学術的に恵まれた環境を最大限に活かし、基礎学力を徹底的に鍛えながら専門性をより明確にしていくとともに、これまで培ってきた主体性を保ちつつ、与えられた教育制度や指導体制を自分の学びに結びつけていきたいと考えています。また、学業に限らず、サッカーやRowingといったスポーツにも取り組んでおり、学問と生活の双方から充実した学生生活を送っていきたいと思います。