お知らせ

Bさん(Durham University , Mathematics / Fettes College出身)

今までの自分のレポートの書き出しを振り返ってみると、そのほとんどが “いかにあっという間に時間が経ったか” ということについて触れています。この4カ月も例に違わず早く濃く過ぎていきました。計算してみると3年間の大学生活のうちの11.1%(大学生の夏学期はほぼ試験に充てられるので授業期間としては全体の約1/6=16.7%)が既に終わったことになります。ホラーですね。
大きく環境が変わり何かと忙しなかった秋学期とは対照的に、冬休みの間はケンブリッジとロンドンにいる同期たちを訪れたり、スコットランドへ帰省してFettes時代のホストファミリーのところでクリスマスや新年を迎えたりとゆったりとした時間を過ごしました。今回は主に個人的な話にフォーカスし、ダラムで過ごした最初の学期の所感を生活面と数学面に分けて書いていきたいと思います。題目は以下の通りです。

1. ダラムでの生活(街の様子と大学での人間関係について)
2. 数学狂の日常(数学の楽しみ方について)
3. 数学徒の苦悩(数学の特異性について/卒業後を見据えて)


1. ダラムでの生活

ダラムはイングランドの北部に位置する小さな大学町です。ダラム大学はオックスフォード・ケンブリッジに次ぐ国内で3番目に古い大学であり、中心部には11世紀から建つ大聖堂や城が並びます。僕はこのような歴史ある古い街並みというのが何より好きな人間なので、去年見学でこの場所を訪れた際にすっかり気に入ってしまい志望順位が2つほど上がりました。結局は試験の結果に自信がなかったという理由で選びましたが(後で詳しく触れます)、自分にとてもよく合った環境ですしここに来れて良かったと今では思っています。特にダラム大聖堂はその規模感もさることながら薔薇窓や聖ベードの墓をはじめ側廊・図書室・中庭とどこをとっても壮麗な見た目と深い歴史がある見どころの多い建物で、もうツアーガイドができるくらいには知り尽くしていますがそれでも毎週遊びに行くほどお気に入りの場所となっています。時間がある時には目抜き通りの散歩や郊外の廃墟巡りにも繰り出してこの街を満喫しています。

さて、街のことは脇において肝心の大学生活の方ですが、9月下旬に到着してまず直面した問題は人間関係の確立でした。ダラムはオックスブリッジと同じくカレッジ制を採用している大学で、学部とは別に寮の中でも人と関わる機会が多いです。最初の一週間はinduction weekといい、各カレッジや学部、ソサエティなどが様々なイベントを催します。僕は元々人といるより一人で過ごす方が好きという性格なこともありそこまで積極的に友達を作るつもりはありませんでしたが、この初手の対応を間違えると3年間話し相手無しなんていう大事故にもなりかねないと危機感を抱いたため、最初の一週間だけは頑張ろうと決意し持てる社交能力をかき集めて挑みました。結果としては初日に同じ廊下に住んでいる物理学科の人と知り合い、その繋がりで一緒にフォーマルディナーで座ったグループの人たちとも仲良くなって無事ミッションを完遂できたのですが、寮や少人数クラスの影響で自動的に交流範囲が設定されていたパブリックスクールと違って大学の人間関係は自分次第でプラスにもマイナスにも(ゼロにも)なり得るので始めのうちはかなり神経をすり減らしました。

ここの学生の全体としての印象は(偉そうな言い方になってしまいますが)可もなく不可もなくという評価に落ち着くと思います。ダラムはそれなりにオファーの基準も高いためアカデミック面がなってない人はふるい落とされていると思いますし、その反面ずば抜けて勉強が得意な人も少ないのできちんと頑張れば学科のトップ層に入るのも全く不可能ではないというレベル感です。僕が大学で出会いたいと思っていたような(良い意味で)ぶっ飛んでいる人をまだ見つけられていないのは残念ですが、常識を備えた意欲ある人はたくさんいるので居心地よく生活しています。
また、もう一つ目を引いた点として学生の人種構成があります。ロンドンやケンブリッジの大学にはシンガポールなどの東南アジアやヨーロッパからも多く留学生が来ている(同期情報)のに対し、ダラムの学生はおよそ7割がイギリス人、2割が中国系でその他諸々で1割弱という構図になっています。理由としてはダラムは国内での人気の割に国際的な知名度が低いこと・地理的にアクセスしにくい場所にあること・ロンドンなどと比べると生活面で魅力を感じる人が少ないことが挙げられますが、そんな背景でインターナショナルが少ないことに加えて中国人のほとんどは仲間内で固まって母国語しか話さないので(そういう場面に出くわす度にイライラしてしまうのですが)、必然的に僕が関わる相手はイギリス人がほとんどとなりました。個人的にはそもそもイギリスが好きだからここに来ているし、Fettesの頃は多国籍な友達グループにいたのもあってイギリス人に囲まれている今の環境は新鮮であると同時にまさに待ち望んでいたものでもあります。前述のフォーマルの席には地元(イングランド北東部)をはじめリヴァプール・オックスフォード・ウェールズ・スコットランドなど様々な地域の出身が揃っており、彼らが交わす「アクセントの違い」や「紅茶の正しい飲み方について」なんていう絵に描いたようなブリティッシュな会話に混ざりながら言いようのない嬉しさを覚えました。
対人関係は一番苦手な分野であり一番の不安の種でもあったので、とりあえずそのハードルを乗り越えることができたのは一安心です。これからもこの街でますますイギリス色に染まっていきたいと思います。

2. 数学狂の日常

大学での勉強について触れる前に、ダラム大学の数学科に落ち着くことになった経緯を簡単に説明します。
一年前の冬に校内テストが終わり、オファーやリジェクトが出揃った春先から試験勉強が本格化しました。特に経済の勉強がエッセイの練習とA以上を取らなければというプレッシャーのせいで馬鹿にならない負担になっていたので大変だったのを覚えています。また数学の方もA-levelとSTEP(ケンブリッジの数学科からオファーを貰った500人のうち半分の250人を受験期最終盤になって払い落とすための悪しきシステム。この年代対象の数学試験としては国内最難)の対策がほとんどだったため、学びに溢れているというよりはひたすら問題を解いて見直しをするための時間でした。
そうこうしているうちにいつの間にか試験が始まりました。経済3ペーパーを終えた時点で絶対Aに届いた!という確信がなかったため第2希望をUCLから少しだけ条件の緩いダラムに切り替えて(オファーの数に関係なく最終的に選べるのは本命と滑り止めの二校だけです)その後の数学9ペーパーをこなし、STEPは手応え自体は悪くなかったので結構際どいけれど受かったかな、などと思いながら結果を待ちました。
旅行やら帰国やらで忙しかった一カ月半を満喫して迎えた発表の日、A-levelの方は希望通りの成績が取れていたのですが、ここで受験生キラーのSTEPが本領を発揮し2点差でケンブリッジの条件に届かないという結果になってしまいました。2点なら何とかなるのではないかと思いメールを書いたり再採点を申請したりと足掻いてはみたものの、残念ながら状況は変わらずそのまま数日後に北イングランド行きが確定しました。まあ2点差を何とかしようというその努力を試験当日にやっておけよという話ですね。得意の積分の問題で、偶関数の積分範囲が±で対称になっていたため最後に2倍しようと思って片側範囲のみの計算をしたら、その肝心の2倍する作業を忘れてしまったという記憶がどこかにあるので恐らくそこでちょうど2点落としたのだと思われます。お陰様で対称範囲における偶関数の積分は一生間違えないという特殊能力を会得しましたが、その授業料は高くつきました。ポジティブな考え方をすると、これこそが受験の醍醐味とも言えます。試験というのは解けるか分からない問題が出てくるから面白いし、先がどうなるか分からない状況だから楽しいのです。
もちろん悔しくない訳はないし、結局経済でAが取れていたのでUCLを選んでおけば良かったかもなんていう後出し後悔も一瞬芽生えましたが、結局どこに行こうと大事なのは自分がその場所で最大値を取れるかどうか(後から振り返ってこれ以上いい3年間はなかったと言えるくらいやりきれるか)です。「与えられた環境を全力で楽しむ」とは8月の報告会でも言ったことですが、常にそのマインドで生きています。

このような激動の夏を経てあっという間に休暇も過ぎ去り、10月からダラムでの大学生活が始まりました。数学科での最初の学期の感想は、一言でまとめると「これを待っていた」に尽きます。
前述のように高校での数学の勉強は他の科目という存在が小さくなかったり受験に焦点が当てられていたのに対して、大学はまさに数学好きの理想郷と言えます。一日のうちで数学しかしなくていいというだけでも十分ご褒美ですが、何よりこのレベルの数学は楽しいのです。昔から小難しい雑学を求めてWikipediaや数学関連のサイトを漁ることは趣味でやっていましたが、そういったところで得られた知識はもちろん体系的な理解からは程遠く、ただ断片的に知っている/聞いたことがあるだけという程度でした(唯一、予備知識がいらない数学史だけはがっつり手を出して楽しんでいましたが)。例えるならば、ある言語を勉強しようとしてフレーズと単語だけ少し覚えたものの文法の知識はまだゼロという状態です。
それと比べると大学の数学はいわゆる文法事項の勉強にあたります。基本的な定義や定理から学び始め、それらが組み合わさって一つの文章や段落、一冊の本へと出来上がっていくのを眺めるのです。もちろん段落や本が丸々読めるようになるまでには長い時間がかかります。今はまだ初歩の初歩を勉強し始めたばかりなので「読める」ものは限られていますが、その短い間でも既に以前部分的に勉強した内容が登場したり、聞き覚えはあるけど意味が分からなかったことが理解できるようになったりと今までの勉強に繋がる気付きの瞬間があり、そうした時に無上の喜びとやりがいを覚えます(例をあげればε-δ論法・リーマン和を用いた積分と重積分の定義・フーリエ級数を使ったζ(2)の評価・実数集合と有理数集合の決定的な違いに関する議論といった分野がそれにあたります。先学期の内容で特に好きなところです)。また、言語の勉強と全く同じように数学にも「書く」ための勉強があります。大学数学は計算の方法を学ぶよりもコンセプトを理解するところの比重が大きいので証明問題が特に大事です。証明をする際には、授業で扱った記号や定理をよく覚えてそれらを一句とも間違わずに使うことが求められます(そうしないと厳密性が失われてしまうので)。なので証明を書くという作業は文字通り作文であると言えるでしょう。読むより書く方が難しいというのはほとんどの言語に当てはまることですが数学も例外ではありません。今はまだ証明は読んで理解できれば良し、書く方は慣れればついてくるだろうと割り切って勉強しています。
英語を本格的に勉強し始めて5年、そしてイギリスで生活して2年経っても未だに知らない単語に出会ったり会話についていけない場面があるように、大学で3, 4年過ごしたくらいでは数学を(その一部分でさえも)完全に理解できるようにはならないでしょう。今までの知識が補完され数学の様々な面を知ることができるようになると同時に、むしろ深く学べば学ぶほど分からないことも増えたり存在すら知らなかったような分野に出くわしたりすると思います。しかしそんな遠くて近く、近くて遠い(何やら位相空間みたいですね)という二面性こそが数学を勉強し続ける面白さの一つであり、勉強し続けるための原動力です。そんな「穴埋めをしたら何故か穴が増える」という不思議な感覚を楽しみながら、今日もまた数学に向き合っています。

3. 数学徒の苦悩

こうして書いてみると、数学科に学部変更するという二十カ月前の僕の決断(留学後1年レポートを参照)はここまで大成功を収めているように見えます。上述のように学校での勉強もこの上なく楽しいですし、課外では積分の大会に同級生と2人で参加し望外の学内5位を獲ったり(来年は満点を狙います)、作問にも手を出してみたり、数学科の友達と会話しながら習ったばかりの用語を使ってツッコミを入れてみて笑いあったりと数学に彩られた楽しい生活を送っています。大学という専門性が高い場所で学ぶ分野として数学以上に自分に適したものは無かったと言い切れるでしょう。しかしその裏で、最近は数学科ならではのちょっとした悩みにも直面しています。

その悩みとは、今大学で勉強している内容と将来仕事を始める時に必要となるであろうスキルとのギャップです。数学の素晴らしさ・美しさはその厳密性と抽象性にあるのですが、それはあくまで学問として学ぶ上での話です。数学専攻の最大の弱点は「実用性」にあります。他の学部を見ると、例えば法学部・医学部・工学部では大学で得られるスキルが資格や進路に分かりやすく直結します。また社会学・経済学・地理学は現実世界と密接に関わっているため応用がしやすく、物理学・化学・生物学といった理系科目を修めた人はその先のステップとして研究職が視野に入ってきます。これらと比べた時に「数学科を卒業して何ができるだろう」と考えると、少し選択肢が弱いのです。
とはいえ、決して数学そのものに実用性が無いと言っている訳ではありません。むしろ数学ほど多方面に応用されて社会を支えているものはないでしょう。しかしそれらはあくまで「応用」された形の数学であって、純粋数学ではないのです。
先ほど数学を勉強することを言語学習に例えましたが、まさに理由はそこにあると思います。数学というのは数字とそれにまつわる概念を扱う一つの独立した言語であって、その厳密性と自己完結性の故に「翻訳」という過程を経ない限り外の世界と繋がることはできないのです。例えば "+" という記号は一般には足し算、ある数に別の数を加えるという可視化できる作業を表しますが、数学的にいうとそれは2つのインプット(実数、虚数やベクトル)を取って1つのアウトプットを返すただの関数でしかありません。そこに「インプットされる数字はあるものの個数(個数に限りませんが)と対応する」というコンテクストを与えて初めてこの関数は実世界で機能するようになります。このように、数学は解釈や応用(これが「翻訳」の部分です)があってこそ社会で役に立つのです。それは分かりやすいところではプログラミングであったり、色々な分野における数字の意味付け("距離"や"統計データ")であったりと場合によって異なりますが、いずれにせよ数学という言語だけを知っていて勝負できる世界はかなり限られています。

そんな訳で、全ての数学徒には二つの選択肢が与えられます。数学の世界に留まるか、数学と実社会を繋ぐ翻訳者になるかです。前者を選ぶ酔狂な人々は世間一般では数学者と呼ばれています。もちろん数学者の中にも応用数学をメインとして実世界と関わりが深い研究をしている人はたくさんいますが、彼らはあくまで実装ではなくて理論構築に重きを置いていると思うので翻訳者よりも辞書編纂者という例えがぴったり来るでしょう。そんな数学者たちの研究の成果を活かして実際に様々な場面で数字を扱う仕事をするのがその他大勢の「数学を勉強したことがある」人たちです。
自分がどちらに進みたいかといえば、現時点では後者だと思います。理由の一つとしては数学の研究を仕事にするモチベーションがほぼ無い(既に存在するものを勉強することと新しく何かを発見しようとすることは全く別次元です)こともありますが、最も大きな動機はそもそもイギリスに来る前/来た直後に地理学科を志望していたそれとほとんど同じです。以前にも少し書いた通り、僕が将来関わりたいと思っている分野は都市計画です。何故都市計画にこだわりがあるのかと聞かれると難しいのですが、一番魅力的な側面は何かを創り出すという感覚だと思います。昔から地図を眺めることや本で読む創作(いわゆるハイ・ファンタジー)の世界が何より好きだった僕にとって、実際の世界を構成する要素を形づくる仕事というのは潜在的に憧れの対象なのでしょう(恐らく)。つまり根本的に「実世界で何かを作る/造る/創ることに貢献したい」という思いがある訳です(恐らく)。
となれば方向性として妥当なのは数学を活かすことができる別の分野ということになりますが、そのためにはやはり今のうちに数学以外でも+αで何かを身に付ける必要があります。当たり前と言えば当たり前のことなのですが、大学の勉強と並行してそういった将来の方面にも考えとリソースを割かなくてはならないのは少し大変です(こちらの大学は3年しかないのでその影響もあります)。可能性が広いのは数学科のアドバンテージである一方、大部分が選ぶような決まった進路がない故に自分自身の選択に依る部分が大きいのは逆に負担にもなり得るのだと学びました。

この先どうして(どうなって)いくのか今の時点で具体的なところは何も分かりませんが、今のうちから考えて動かなくてはいけないのもまた事実です。まずは目先の数学の勉強を余すことなく楽しみつつ、いつか来るその時に自分に合った選択が必ずできるようによく目を開けておきたいと思います。