このレポートを大学図書館の窓際の机で書き始めてから一時間くらいの間に、青空が見え、豪雨が訪れ、そして、薄い紫色から黄色にかけての光がぼうっと映えている西の空の反対側に虹が浮かび上がってきました。移り変わりやすい天気だからこそ、幾度と見た図書館の窓の向こうの空は毎度姿を異にします。幾枚も重なった空模様の記憶をめくり返す如く、それらに紐づいた3年生の大学での勉強の思い出を振り返っていこうと思います。
全体としては、3年生になったことで授業の内容が深くより発展的になりました。具体的に言うと、1・2年生の間は “survey course” という、分野の概観を学ぶような、浅く、広くのコースが多いのに対し、3・4年生のコースは一人一人の先生方が自分の専門分野についてコースを組み立てられたセミナー形式の授業が多くなります。この後半2年間の成績で卒業時の最終成績が決まるため年度の始まりには少々緊張していましたが、むしろ1・2年生の間に最終成績という面での心配なしに試行錯誤する時間が与えられていたため、スムースに課題などに取り組めたように思います。いくつか思い出に残っているコースの話をすると、二学期に取った19世紀末ヨーロッパ美術のコースでは、所与のエッセイテーマではなく一から自分で立てた問いに答える形でエッセイを書くことを始めて経験できました。せっかく事前知識を割と持っている分野なので是非ともオリジナルなエッセイを書きたいと思っていたところ、冬休みにたまたま読んでいたジョージ・モッセの『ナショナリズムとセクシュアリティ─市民道徳とナチズム』の視点の応用を思い立ち、アルフォンス・ムハ(ミュシャ)のチェコ・ナショナリスト色の濃い作品群におけるジェンダー表象について調べました。結果として今まで書いたものの中で最も満足の出来になり、またもっと深く掘り下げたいテーマを一つ見つけられたように思います。
中世のゴシック建築についてのコースは、ゴシック建築発展の物語(ナラティブ)として語られてきたものを含む現存する研究への徹底的な批判に始まり、実際に中世の石工たちがやっていた(であろう)幾何的な天井のデザインを当時の道具で書いてみたり、聖堂建設中の財政目録を見てみたり、批判的かつ多様な視点からゴシック建築を問い直す非常にユニークで目を開かれるものでした。時に『国際ゴシック様式』と呼ばれることのある14世紀の後期ゴシックがどれほど「国際的 (international)」だったのか、というテーマで書いたエッセイはそもそも中世における inter “national” とは何か、現代における nation, national, nationalism の概念から離れる必要性について議論し、理論的枠組みに考えを巡らせた上で論を組み立てました。中世のゴシックについてはもともと予備知識が少なかったため苦戦もしたのですが、振り返ると低学年の頃に比べると批判性や独自性の高いものが書けるようになったことを実感し嬉しいものです。これからさらに良いものを書けるようになっていきたいですし、その過程を楽しみたいと思います。
(一つ脱線をすると、春休みにチェコのブルノを訪れた際に、ありがたいことにイギリスで高等教育を受けたのちブルノの大学で教鞭を取られている美術史の先生とお話をする機会がありました。その際、中欧などでの美術史の高等教育では一次資料調査へ重点が置かれていることに対しイギリスでは批判的思考を鍛えることに重きが置かれている、ということをおっしゃっていたのですが、振り返ってみるとこれはかなり自分の実感としてあるように思います。もちろん個々の教え方によって細々とした差はあるでしょうが、全体としていかに批判的に書くかという点が非常に鍛えられている気がします。それがイギリスの大学の強みだとすると、その分の弱みは(美術史・建築史・もしくは歴史一般的な分野においては特に)英語モノリンガリズムにあると感じます。外国語の授業ももちろんいろいろ存在していますが、その言語の専攻でない限り必修にはならないケースがほとんどのはずです。現代社会での英語の強さを考えればそうなってしまうのはわかりますが、大学院以上などの高いレベルでの研究において、一次資料を読まないとやっていけない分野ではそれでは英語圏(+英語が第一言語でなければネイティブ言語圏)の題材しか選べず選択肢が狭くなってしまいます。ということで、学部のあとに大学院レベルでの史学系の勉強をすることを考えている人は何らかの形で興味がある言語を今から勉強しておくと可能性が広がりますしとても有利になるのではないかと、私は下学年の方へ伝えたいです。)
また、二学期にはワークプレイスメント(実習のようなもの)のコースをとり、地元エディンバラの建築遺産に関連するチャリティーで、その団体の所有する100年以上前の挿絵入り書籍を使ってエディンバラ旧市街の歴史に関わる調査を行いパブリック・アウトリーチ用の動画を作るという活動をしました。大学の外での建築史・遺産に関わる活動は新鮮で、また街にある古文書館や図書館を回っての個人でのリサーチは短い卒論を書いているようで良い経験でした。来年度は卒論がある分取れるコース数は減りますが、特に社会主義建築のコースで西欧・西側諸国中心の建築史の視点では周縁化されがちな建築と視点について学ぶことと、衛生の観点から学ぶ近世建築史のコースを楽しみにしています。
最後に、勉強以外のことも是非触れておきたいと思います。今年は授業が専門化したことや、美術史ソサエティ、学科の representative としての活動をしたことなどを通じて多くの新しい友人が得られました。特に、出身地はみんなばらばら、同分野への愛で繋がった友人たちと過ごす時間は、大変なインスピレーションを与えてくれる希少かつ貴重なものでした。春休みには同専攻の3・4年生でプラハへ研修旅行に行くことができ、観光客がひしめくエリアから戦間期の田園都市地区まで建築史・都市計画史に浸かりつつ街を縦横に歩き回りました。夏休みにはイタリアとスコットランド国内を旅し、特に一つの国のうちの地域差、文化の多様さなどを身に染みて感じました。スコットランドは、22歳未満だとバスが全国無料になるため、22歳になる前に限界までバスに乗るためにあれこれと計画し北はアウターヘブリディーズ諸島(スコットランド北西部の島々で、スコットランド・ゲール語の“最後の砦”とも呼ばれている)、南はスコティッシュ・ボーダーズ(イングランドとの境界エリア)までたくさんの場所を訪れ、様々な場面で地元の方や他の旅行者の方のご厚意を感じることとなりました。こうしたほんの偶然による、ひとときの人との関わりの記憶を、ずっと心に留めておきたいものです。また8月中は毎年恒例の大芸術祭エディンバラ・フリンジが開催されており、様々なスケール、世界各地からやってきたパフォーマンスを見る機会に恵まれました。毎日街の中心部で人混みに飲まれることは時には辟易とすることもありますが、薄らんでいく夏の終わりの西日とともに、そのうち懐かしくもなることでしょう。
あと一年でエディンバラでの学生生活が終わってしまうことがすでに悲しく思われるこの頃ですが、悔いの残らぬよう良い最終年度を過ごしたいと思います。