蝉の声、繁る葉のそよぎ、もしくはアイスクリーム屋の行列 – 地域により国により、季節の変化は多様な形で感じられますが、私にとってああ夏だ、と実感したのは、試験期間が終わりカールトンヒルへのぼり遅い、遅い北国の5月の夕暮れを眺めた時でした。昨年にも同じ季節にここへやってきたことを思いだし1年間を振り返ると、さまざまな変化があったことを実感します。日本世間において生まれて20年目というのは一つの節目とされることが多いですが、私にとってこの一年は数字のきりの良さ以上に、自分の興味が何であるのかが少しくっきりと見え始め、なおかつそこに自らの力を注ごうとすることのできる環境に恵まれた、本当に充実した、また意味のある一年でした。
私は留学前のレポートで、自分の興味の幅が広すぎて何をしたいのかまだ見えない、ということを書きました。また、偶然の出会いや大好きなことに関わる出会いを留学中にも大切にしていきたい、ということも書きました。学部生としての生活が半分終わったところでこのことを振り返ってみると、すでに非常に感慨深いものがあります。
私はA-levelを始めた頃から、自分の興味に正直に、機会を最大限に活かして過ごすことを一つ頭においていました。理系科目だけでなく、美術や、留学生には難しいかもしれないと思った歴史に挑戦したのもこのためです(A-levelで歴史と美術をとったのは当時では少数派でしたが今は後輩が増えてとても嬉しく思っています!)。楽であることと楽しいことは別物です。例えば歴史を選択したことにより他の科目よりもしかするとたくさんの時間を費やさなければいけなかったかもしれませんが、私にとっては自分が好きなことに集中させてもらえることが一番幸せなことで、このお陰でA-levelの間に充実した勉強ができただけでなく、美術史や建築史というそれまであまり考えたことがなかったけれども自分が心から愛せる分野への扉を開けてくれました。
なぜ今頃昔の話をしているのかというと、このような、自分の興味があることに関わるチャンスを探す中での出会いというものが、偶然の出会いとともに、大学生活でも大きく自分の学びに関わってきたなと感じるからです。留学当初、周りのTazaki生のいくらかは既に何を専攻したいのかわかっているようで少々羨ましくも思ったこともありました。しかし私にとってはこの4年、こうして偶然を楽しみつつ自分の好きに正直に過ごすなかで自ずと見えてくるものがありました。また、交換留学生の友人と話していて話題にあがったことですが、自分ひとりで考える時間が増えることは留学の見えづらくも大きな利点であり、これも私にとっては大きな助けでした。
前回のレポートで専攻を変えたことに触れましたが、それにより最も大きく変わったのが選択科目です。以前はほとんどの科目が必修だったのですが、今年はお陰で全体の3分の2が自由選択となり、必修である建築史に関わる科目の他に自分の興味のある授業を幅広く選ぶことができ、近代・現代美術史、科学哲学、スコットランドゲール語などを選択することにしました。1、2年生の間の科目選択の自由度の高さはスコットランドの4年制の大学の特徴ですが、私にとってこれは非常にありがたく、幅広い科目の中で自分の興味に関する共通点を見つけたりすることができました。以前にも私が19世紀後半・20世紀初頭の西洋美術・建築に興味があることを書きましたが、直接これらに関係のある授業はもちろん、ゲール語・文化の授業からは当時の民族意識やナショナリズム、政治的環境の文化に及ぼす影響など、科学哲学の授業では当時の科学史や同時代の哲学などへの見識を広げられ、美術・建築の理解へ直接的でなくても、より広く深い知識の地図を自分の頭の中に描き始める大きな助けになったように感じました。一学期は専攻を変えて授業に追いつかなければいけなかったこともあり忙しさと新しいスケジュールになれることに精一杯でしたが、二学期はペースが掴めてきたので大学のさまざまな学部が夕方・夜に開催している国内外の研究者による講義に多く参加することにしました。また、自分の興味分野に関わる専門の先生のオフィスアワーに定期的に訪問するようになり、関連する文献を教えていただいたりそこから持っていく質問を考えたり、たくさんの刺激をいただきより能動的な学びを得ることができました。価値観を共有する友人も増え、機会だけでなく人にも恵まれた一年であったと改めて思います。
5月半ばに二学期の終わりの試験が終わり長い夏休みが始まりましたが、旅行、自主研究、インターンと忙しく過ごしていたら気がついたら既に半分以上が過ぎてしまいました。近さを活かしてこの一年で合計9カ国、さまざまな欧州の都市を訪れましたが、テストのあとのリフレッシュにもなり、また芸術作品や建築に直接触れられることほど面白いものはありません。特に今年は都市計画の歴史について学んだので、歩きながら作られた時代による街並みの違いなどを考えるのもとても楽しくなりました。知らなかった音の響き、街並みの色や建築材の違い、ショーウィンドーに並ぶパンの種類・・・ヨーロッパという一つのまとまりの中でも文化はあまりに多様であることを、五感から感じました。
自主研究は、夏休みに追加の単位として、何か学びになるプロジェクトをそれぞれ好きなようにデザインすることができる大学のコースを利用して行っています。この機会に自分の興味のあることに時間を注ぎたいと思い、大雑把にいうと19世紀後半の中央ヨーロッパの考古学の発展が英国国内での民族意識・ひいては芸術的表現に影響したのかということについて一次資料を利用して調べています。A-levelでのコースワークや普段のエッセイとは自分一人でしなければいけない計画、管理、連絡、そして考えるべき量のけたが違うので自分にとって初めての挑戦がたくさんありますが、卒論などと違いあまりプレッシャーがない状況を利用して存分に失敗ができる機会だと思って図書館に通っています。調べるべき一次資料の量、また勉強すればするほど感じる自分の知識の少なさにときどき気が遠くなりつつ、その道のりの長さ、終わりのなさ、歴史の深さこそに抗えぬ魅力を感じます。またものを読めば読むほど疑問は増え、科目横断的な知識の繋がりを感じるのはとてもわくわくします。一次資料調査は短期間では何も見つからないのが普通、だからこそ何かを見つけた時に大きな喜びとなるし、たとえ長い時間をかけたのちに何も見つからなかったとしても、何も見つからないことも大切な発見である、という先生からのアドバイスを胸に、未知の洞窟を探っていくような気分で続けていきたい、また夏休みが終わったあとも何らかの形で続け発展させていきたいと思っています。
3年生からは、ついに先生方がそれぞれに行うより専門的な授業を学生それぞれの興味によって選択するようになります。大教室での講義とは変わり、より小さなクラスでの発展的な内容となるので緊張もしますがとてもわくわくしています。その他の時間は、また学生料金でオーケストラに通ったり、ダンスのクラスに行ったり、スコットランド国内を旅行したり、やりたいことは尽きません。また、高校生の頃から学問の探究と芸術・創作活動を(トールキンのように)自分の生き方の二つの柱としていきたいと考え続けていますが、この点で言うと昨年は創作活動にはあまり時間を割けず天秤が偏ってしまったので、バランスを見つけていきたいというのは来年の課題の一つです。
さて、4年間のふりかえりのようなことを書きましたが、まだまだ学ぶことは溢れており、大学2年分などまだまだ学問の道を歩き始めたばかりです。自分の好きを突き詰めることを恐れず、また新たな出会いや学びにもオープンに、新しい一年をまた楽しく過ごしたいと思います。