お知らせ

Mさん(Lancaster University, Biochemistry / Christ's Hospital出身)

この7月、イギリスでの6年間の生活を終え、残り2週間程で社会人としての生活をスタートさせると思うと何とも感慨深いものがあります。その中でも今年度のMasterは合計6年間のイギリス生活の中でも一層自身を成長させてくれた実り多い1年間でした。

大学3年の終わり頃にBiochemistryからBiomedicineに専攻を変え、今年度の頭からBiomedicineのIntegrated Masterをスタートさせました。Integrated Masterは通常のMasterと違い、Postgraduate degreeではなく、Undergraduate degreeとして、卒業時にはこれまでの3年間と合計して成績が出されます。また、Postgraduateは翌年冬に卒業するのに対し、Integrated Masterは他のUndergraduateと同じく翌年夏に卒業します。

Term1は、Postgraduate MasterもIntegrated Masterも関係なく、3つから4つの座学moduleを取ることになっており、私は、Emerging Therapeutics in Immunology, Molecular basis of cancer, Diseases of the brainの3つのModuleを取りました。
大学3年間でより一層興味が増した免疫学、去年のResearch Projectで研究トピックとなった癌の細胞学、そして未だ未知の領域が広がるアルツハイマー型認知症やパーキンソン病をはじめとした脳の病理学をMasterレベルで学ぶことは、現時点で解明されている医学・生物学的知識を理解したうえで、最新の研究論文を嚙み砕き、未来の治療法の可能性を見出すところまでが含まれています。

これまでの3年間と大きな違いを感じたのは、Presentation形式でのassessmentでした。特にDiseases of the brainでは、将来的に可能性のあるアルツハイマー型認知症の治療法を複数の研究論文等のデータを根拠として論理的にプレゼンを行いました。現在でも病気の生物学的な背景が解明されていないアルツハイマー型認知症の治療法を新たな観点から提示するというのはそう簡単に準備できるものではありません。そのため、アルツハイマー型認知症だけに留まらず、この病気と生物学的背景が似ている他の病気の治療法から発想を得るなど、どの学生も創造力をつかって新たな治療法の可能性を探っていました。
私は、30年程前に定義されたものの、あまり注目を浴びていなかったアルツハイマー 型認知症発症のメカニズムを元に、この病気特有のタンパク質・糖質をターゲットにした病気進行を抑える薬を将来的に活用可能な治療の選択肢として提案しました。実際、この類の治療薬は海外のバイオベンチャー企業によって、臨床開発が行われており、彼らのウエブサイトによると、早ければ今年中頃にPhase3の臨床研究データが集計される予定です。

また、Term2ではDrug development from the concept to clinicと呼ばれる、今まで取っていたmoduleとは打って変わった形式の授業が始まりました。このmoduleは実社会において製薬企業やバイオベンチャー企業がどのような項目を考慮しながら臨床試験の構築を図り、何をもって科学的に有効で開発価値の高い治療薬とみなすのか等、academicな視点と企業的な観点の双方から開発トピックを考慮する思考回路を身に付けることができました。
また、assessmentのプレゼンのトピックはアンメットメディカルニーズと呼ばれる、未だ有効な治療法のない疾患に対する医療ニーズに含まれるsnake envenomation(ヘビ咬傷)の将来的な治療法の提案でした。Module担当の先生の意向から、大学4年間で学んだことのない疾患が選ばれ、ヘビ咬傷はアンメットメディカルニーズの中でも、特に治療法が限られており、病気としての重症度が高いものとして知られています。また、ヘビの生息地域からも推測できるようにヘビ咬傷は中南米、東南アジア、アフリカで主に発生しており、これらの地域は未だ医療インフラが整っていません。つまり、ヘビ咬傷はアンメットメディカルニーズでも特にsocietal unmet medical needsが大きなハードルとなる疾患なのです。ここで重要になるのが、開発する薬が有効な状態で患者さんのもとに届くかどうかです。医療インフラが整っていない地域に厳密な保管環境を必要とする治療薬を提供したところで、患者さんを治療する前に治療薬が有効性を失ってしまいます。よって正しい薬のターゲットを選択することに加え、疾患の多い地域の環境を考慮した治療薬の設計が求められます。
例えば、熱帯または亜熱帯地域に属する中南米、東南アジア、アフリカ諸国に向けたヘビ咬傷の治療薬は、気温や湿度の高い状態でも変異しない化学的に安定した構造の治療薬が最適で、特殊な医療インフラを必要としない簡易的な薬の投与方法が必須と言えます。また、ヘビ咬傷の重症化はヘビ毒に含まれるタンパク質によって引き起こされるものであり、それらのタンパク質の種類は咬まれたヘビの種に応じて異なります。医療インフラの低い地域では、原因のタンパク質の種類を特定することも困難な 為、それぞれ異なる種のヘビに含まれるタンパク質を柔軟にかつ高い特異性で認識できる化合物が必要となります。
そこで私は、高額な治療費を必要とする抗体医薬品に代わって、化学的に安定した安い開発費で高い特異性が見込めるsynthetic polymer nanoparticles(機能性高分子ゲル粒子)を利用した治療の可能性を提案しました。特に今回のプレゼンは、現段階で臨床研究や治療薬としての開発が進められていない治療方法を考案する必要があったため、様々な分野の論文をもとにそれぞれ化合物の生成方法、化合物の安定性や特異性、そしてそれらを裏付ける科学的根拠が必要でした。プレゼンの構成や組み込む実験データの選択・配置に試行錯誤を重ねること3週間、ヘビ咬傷の研究を行っている大学教授とタンパク質の化学構造モデリングを専門としている大学教授に、質疑応答を含めた20分のプレゼンを満足いくかたちでやり遂げることができました。

また、この1年間最も多くの時間を費やしたMasters Projectは、Undergraduate degreeのみでは得られなかったであろう自身の成長を感じることができました。今回行った乾癬と呼ばれる皮膚の難病と免疫システムのResearch Projectは去年のDissertation Projectとは大きく異なるトピックだったため、Literature Reviewを書き上げるだけでも新たな発見が多く、非常に面白いものでした。
そこで得た見識から、乾癬の治療方法の研究として、皮膚の免疫システムと強い関連のある内因性カナビノイドシステム(Endocannabinoid system)に含まれる、脂肪酸結合タンパク質(Fatty acid binding protein)の一種であるFABP5を標的とした皮膚炎症の抑制を図った、およそ4か月の実験計画を立てました。
以前の研究論文をもとに自分自身で実験を組み立て、1人でラボに入る毎日でしたが、皮膚細胞を相手に行う実験の為、細胞の増殖スピードやプレート内での細胞増殖の仕方によって実験データが大きく変動し、想定外の実験結果が多く見られました。その為、Supervisorの教授に逐一実験データを共有し、自分の進めているプロジェクトの現状を把握してもらうとともに、Supervisorのビジョンと一致しているかどうかを確認しました。また、得られた実験データをもとに実験の手順に改善の余地がある場合や仮定との相違があった場合、事前に過去の論文等に目を通して、自分なりの改善方法を提示することで実験方法の改善や修正を繰り返し行いました。白紙の状態でSupervisorのもとに行くのではなく、自身で証拠を集め、論理的に情報を消化することで、Supervisorとの論理的な対話を通して、プロの意見を追加情報として自分の準 備してきた改善案に組み込むまたは修正をしながら、最終的な結論を出すことができたことは、今後社会人として立ち回る際に必要なスキルが身についたのではないかと思います。
また、積極的にSupervisorと関わり、意見交換をしたことで、自身の努力している過程が伝わり、相乗効果でSupervisorとの良好な関係性を築くことができました。コツコツと陰で努力することはもちろん大事ですが、その前向きな姿勢に気づいてもらう為には、他人からの一方的な評価に頼るだけではなく、自発的な意思表示と対話が非常に重要だと感じています。それは社会人として、数少ないチャンスを掴むことにもおのずと繋がってくると思います。

私はこの6年間のイギリスでの留学生活を常に全力で突っ走ってきたと自負しています。頑張って物事に取り組んできた分だけ素敵なご縁に恵まれ、素晴らしい友人達、先生方、ホストファミリーに囲まれて、どんなに精神的に辛いときでも、初心を忘れずにここまで歩んでくることができました。この奇跡の出会いは私の一生の財産であり、22年間で最も濃く、苦楽の多かった6年間はこれからの人生の大きな糧になります。学問とはまた異なるかたちではありますが、常に学ぶ姿勢や新たな発見を求める姿勢を忘れず、社会人としてまた成長した姿を今までお世話になった方々に見せられるよう、これからも邁進してまいります。

田崎理事長をはじめ、財団の皆様のご支援のお陰で、6年間のイギリス留学を全うできましたこと、心から感謝申し上げます。本当に有難うございました。