
卒業式の翌朝は、長い夢から目覚めたような気分だった。
今にも友人らが私の部屋の扉を叩き、「準備できてるー?」と叫んでは、私が「あと三十秒ー!」と答える、そんなやり取りが起きる気がしているのに、何も聞こえない。そのあと私は朝ご飯会場でヨーグルトに心配されるほど山盛りのシナモンをかけて、友人の他愛のない話を聞き、放課後はStockbridgeのカフェでお喋りしては公園でランニングし、最後はお腹が痛くなるほど笑いながら夜ご飯を食べるはずなのに。そうか、そんな当たり前の日常も、もう今日からやってこないんだな。昨日で終わってしまったんだな。そう思うと、寂しさで胸がいっぱいになった。
Fettesでの二年間の濃さを比率で表せば、Lower Sixthが2に対してUpper Sixthが8くらいだろう。一年目は環境に慣れるので精一杯で、二年目になってからやっと思う存分楽しめた。特に印象的だったのは毎週末のように行われた Upper Sixthのソーシャルイベントだ。ハロウィンパーティでは友人二人とPowerpuff Girlsに変装したり、Ceilidh・Burnsなどのドレスパーティでは毎回衣装選びに数週間かけていた。そしてその度に、これでもかというほど写真を沢山撮るのが非常に楽しかった。クリスマス休暇前の最後の夜にあったカジノ・ナイト(使うのはニセ紙幣)ではディーラーと睨みあいながら持ち前の強運で手持ち金を爆発的に増やし、借金を抱えていた友人を助けた経験が中々リアルで面白かった。今考えると、その一年前の寮のクリスマスパーティは雰囲気が肌に合わず部屋で一人泣いていたのだから、本当に同じ学校なのかと疑うほど何倍も幸せな二年目を過ごしたんだと実感する。そして、いかにもボーディングスクールらしいイベントの数々を経験できたことを誇りに思う。
休暇中にはスコットランド制覇の夢を掲げて友人と日帰り旅行を繰り返したため、バスで2時間圏内の街は大体行ったことがある。St Andrewsにてアップルパイを手にした友人が前方のカモメに向かって「あげないよ!」と叫んでいたところ、後方から飛んできた別のカモメにパイを奪われた光景は忘れがたい。一方、試験前には深夜の一時までエジンバラ大学の図書館で篭ることもあり、そういう時ほどホストマザーが翌朝に作ってくれるシナモンの焼きリンゴと上に乗せるカッテージチーズが身に染みて美味しかった。
エジンバラはとても居心地の良い街だった。便利なお店が揃っている都会的な側面を持ちながらも、古都の景観と丘・海の自然が共存している。「飽きてきた」「小さい」と言う学生を何人も見てきたが彼らは網目状に張り巡らされたCycle Paths全てに行ったことがあるだろうか。あるいはSouth Queensferryに並ぶ圧巻の三本橋に感動したことがあるのだろうか。Mary King’s CloseやSouth Bridge Vaultsを見て街の何百年と続く歴史に畏れを抱いただろうか。エジンバラは住めば住むほど奥が深く、愛着が湧く、実に素敵な場所であった。
文化的な街であるが故に一年を通して様々なミュージカルの公演ツアーが街にやってくるのもありがたかった。先生が学割を利かせてチケットを入手してくれることもあり、気軽に行きやすかったので二年間を通して十五以上のショーを見ることができた。 “Mary Poppins” では魔法の世界観を再現するために登場した推定15m以上の高さのある大きな人形に圧倒され、ベトナム戦争に巻き込まれた少女の話 “Miss Saigon” は幸せなエンディングであってほしいと願いながらも最後に迎えた急展開に言葉がでないほど衝撃を受けた。一番好きだった二年目のクリスマス公演 “Mamma Mia!” をきっかけにABBAの曲をずっと流すようになったこともあった。
A-levelの問題の解答形式が基礎知識を入れる上で自分のためになったことは言うまでもないが、生活を共にする同級生らとの会話から得た学びは無視できない。カレーを食べている時にBiochemを志す友人がPutrefied Venous System(生物の組織の腐敗により静脈に硫化水素がたまる状態)のことを詳細に説明し出した時は止めるべきか迷ったし、流行りのダンスを練習するために集まった部屋では思わぬ方向に会話が展開し、徴兵制度は正当化できるか否かを問う議論をしていた。香港の子が政治的な議論をする前に必ず携帯の電源を切っていることから彼らがいかに気を張って日々を過ごしているか目の当たりにすることもあれば、チェコの子が王室制度を話題にあげると声を張り上げて強い怒りと嫌悪感を示したことが東欧の歴史を学ぶきっかけになることもあった。生徒一人一人が受験の一環として自分の興味のある分野について本をたくさん読んでいたり、国際色豊かな生徒が集まっている分、刺激的な毎日だったと感じる。
卒業式の日に一番悲しかったことは、実は友人との別れではなく、先生との別れだった。友人とはいつでも会えるし、同じ関係性が持続できるけれど、学校を離れたら「先生」ではなくなる。なんというか、困りごとに共に立ち向かってくれる師匠のような存在がいなくなる切なさがあった。最初にお別れを言いに行った数学の先生にプレゼントを渡すと、先生は “No hug policy” を解禁し私に力強いハグをくれた。受験期に泣いた時も「ハグはしないわよ!」と言っていたのに!ずっと幻のように思われていた先生からのハグは、私にとってまさに至高の餞別だった。(ハグをもらいながら、余計号泣したのはいうまでもない。)次に会いに行った生物の先生にはいつも通りのアイリッシュ・アクセントで 「あなたはアメージングな子よ、どこに行ってもアメージングな時間を過ごせるわ」 と勇気付けられた。
そして、最後に会いに行ったチューターの生物の先生には複雑な気持ちを抱いていた。二年間の手厚いサポートへの感謝を伝えたい一方で、卒業式のBiology Awardを私ではなく別の子に渡したことに対する裏切られたような気持ちもあったのだ。(先生が言うには、「あなたは向上心に溢れていてきっとどこかで今後も賞をもらうことがあるだろうから、もう一人の大人しい子に何かしらの誇れる賞を持ってもらいたかった」というなんとも微妙な理由であったが。)
しかし最後に会う先生はやっぱり「いい先生」で、Yearbookのメッセージにはこれ以上ない言葉を書いていただいた。歳を重ねることの素晴らしさは、人となりからその人が将来どのようになるかを見れることだ。僕は君が将来素晴らしいことを達成するような気がするよ。 You have outgrown Fettes.
本当に卒業するんだと実感した瞬間だった。高校生活も楽しかったが、もう次のステージに進むべきだと言われたような気がした。
今はまだエジンバラを離れることに後ろ髪を引かれる思いもあるが、次に向かうロンドンという大都市でスポンジのように物事を吸収する大学生活への期待に心を踊らせている自分もいる。これからも挑戦を続け、成長し続けていきたい。
謝辞
二年間を通じて多大なる支援を下さった田崎理事長や事務局の方々をはじめとするTazaki財団の皆様に多大なる感謝を申し上げます。高校二年生のうちから親元を離れ、休暇中もホームステイを繰り返し、様々なご縁に助けられながらエジンバラで生きた経験は自分の中で一生大切にする人生の基盤となると思います。このような貴重な経験をさせていただいたことには感謝のほかに言葉が見つかりません。
無事に高校を卒業し留学の区切りが一つついたことに安堵しています。今後の大学生活も、何卒よろしくお願いいたします。