生活も学業も大きくこれまでと異なった怒涛の冬タームを終えましたが今回のレポート
もターム中にあったこととその間に考えたことをわけて綴っていこうと思います。
Year 13の冬タームは大学受験にまつわるあれこれに奔走させられる日々でした。夏休み
から帰還した2週間後にpersonal statementのinternal deadline があり、自分と関わった
様々な先生、時には友達に添削、推敲をお願いしてまわりました。続く10月のUCAS提出
も滞りなく終えることができました。その後はCambridge, Imperial college London の
受験に必要なadmission test及びinterviewの対策に心身を注ぎました。以前は別々に行
われていたCambridge とImperialのadmission test が今年から併合され、それに伴い問
題の形式も変化したため対策には少し手こずりましたが結果的に自分がある程度納得で
きる成績を取ることができたことには満足感と達成感を覚えています。
続くCambridgeのinterviewでは、これまでに受けたことのない形式の入試方法に戸惑いなが
らも自分と同じ学部を受験する友達と毎日夜遅くまで面接の練習をすることで苦手だっ
た英語で自分の思考プロセスを説明し通すということに自信をつけることができまし
た。本番ではzoomのinteractive whiteboard が動作しなかったり、面接官のロシア語訛
りに翻弄されたりと思い通りにいかないこともありましたが無事に終えられたことにはホ
ッとしています。寮生として学校にある種閉じ込められていると気持ちをリフレッシュす
る機会を失い、一時の感情に簡単に流されてしまいがちです。自分も勉強や人間関係の
ストレスから塞ぎ込んでしまいそうになることが何度かありました。しかし、そのような
状況でこそ、自分の生活を俯瞰して眺め、今何ができるのかということを考えることが
重要であると痛感する経験でした。
冬タームは学業に専念したタームでしたが、それ以外にも学年が上がり寮が変わったこ
とで同学年の友達との繋がりが強くなりパブリックスクールでの日常生活がこれまで以
上に楽しいと感じることができています。去年までお世話になっていたホストファミリー
が引っ越してしまい、休暇のたびに住む場所を転々とする生活になってしまったこと
も、友達の家に泊まったりエジンバラの街を探検したりするいい機会だと前向きに捉える
ことができています。来タームは今タームと打って変わって忙しさとはかけ離れた生活を
送ることになるため、時間を有効に活用し将来に活かしていけるようにしたいと思いま
す。
さて、ここからはイギリスでの大学受験を通して思ったことを書いていこうと思いまま
す。まず、イギリスでの大学受験は日本の大学受験と比べると大学受験というイベント
そのものにかけなくてはいけない努力量が圧倒的に少ないということです。これはイギリ
スの高校生たちが怠慢なわけではありませんし、彼らも大学受験時期間に自分にできる
ことは全てやっています。もちろんできることならば皆oxbridge含むレベルの高い大学に
入学したいという気持ちは持っているのですが、受験の形式がペーパーテストのようなあ
る意味で一発逆転ができる形式ではないため、受験のアドバイスをする先生たちも含め
て「現実的にみてどの大学を受験すべきなのか」ということを念頭に置いて話が進んでいき
ます。無論先生たちは最大限のサポートを提供するつもりではいますが、大学側が合否
の判断材料とするマテリアル全てが志願書を提出する時点で先生方も見ることがで
き、それまでの経験からある程度その生徒が受かるか受からないかを予測することができ
るため、その生徒が「受ける価値があるか」ということを明確な根拠を付けて議論できるの
です。対照的に日本の受験において志願書を出す段階では、自分が受かるか受からない
かなど全くと言っていいほどわかりません。どれだけそれまでの模試の結果が良くとも大
学が突然問題の傾向を変えて自分の苦手分野ばかり出題してくるかもしれませんし、当
日の体調が芳しくない可能性すらあります。しかしこれは極端な話、自分が受験する大
学の受験当日、自分よりも高い点数を取る可能性の高い人が全員体調不良で本来のパ
フォーマンスが発揮できなければ、どれだけ大学のレベルが高くても受かる可能性がある
ということです。(まあこれは「量子力学的に言えば人間は壁を貫通して歩くことができ
る」と言っているようなものですが)ゆえに日本の大学受験において本来の自分の適正レ
ベルより少し高いレベルの大学を受験することには多くの場合意味があります。だからこ
そ日本の受験生は自分が受かる可能性を1%でも上げようと、一分一秒を争って勉強を
する必要性に追われているのです。
では、日本の大学受験はイギリスのそれより必要努
力量も多い上に最終的には運も必要になるのかというとそういうわけではありません。む
しろ必要な「運の量」で言えばイギリスでの大学受験の方がよっぽど多いと思います。それ
はイギリスでは実質的な大学受験の期間が日本よりも長いからです。イギリスでの大学
受験における重要な要素の一つとしてGCSEの成績があります。GCSEというのは中学
生の終わりに受ける共通テストのようなもので、その成績は大学側が生徒の学力を同じ
物差しで計ることのできる唯一の指標となります。したがって中学を終えた時点で自分
が入れる大学のレベルの天井というのはある程度見えているのです。これがなぜイギリス
での大学受験における「必要運量」を高めるのかというと、年齢が幼ければ幼いほどその人
生というのは環境に作用されやすいからです。「最年少天才ピアニスト!」などと称えら
れる子供の親がきまってピアニストであるのと同様に、年齢が小さいうちは親や周囲の人
の影響というのが極めて顕著に現れます。出発前の壮行会でのスピーチでも話させてい
ただいた通り、子供は自分の育つ環境は選べませんし、結局は「親ガチャ」という部分が
大学受験でも大きく影響してくるのです。特にFettesにいるとこの事実を強く実感しま
す。高い金額を支払って、子供を学校に住まわせることで勉強に優位を取らせる
boarding systemからはじまり、果ては親のコネでwork experienceをし、ユニークな
personal statement を作ろうとする人まで生まれてきた環境を活用して大学受験で優位
を取る人たちがFettesにはごまんといます。しかし、イギリスにはこのような不平等を解
消しようとするシステムがあるのも事実です。例えばoxbridge におけるinterview システ
ムは各々が受けてきた教育の程度を鑑みて受験者それぞれにあった問題を与え、その中
でどのようなパフォーマンスをするかを見ることができるため、教育格差を乗り越えて公
平に生徒を評価しようという動きの現れだと読み取れます。平等をとるべきか公平を取
るべきかという議論は、教育の現場に限らずさまざまな場面で行われていますが、定量
化、効率化が進んだ現代社会においては「平等」が選択されている場面が多いと痛感させ
られたイベントでした。