皆さん、新年明けましておめでとうございます。
今年は大学生活に突入する転換期となります。多種多様な人との関わり合い、新たな活動への挑戦から本年も沢山のご縁に恵まれたいです。将来自分が一体どこで誰と何のために何をしているのか甚だ想像もつきませんが、きっと目の前にいる相手と何より自分が、笑顔になれるよう全力を尽くしていると思います。
先学期末は、迫り来るクリスマスに一同、心を沸き立たせながら毎日の如く催される行事をこなす日々を過ごしていました。アドベントサービス、クリスマスコンサートにクリスマスフェア。募金活動でもあったこのマーケットでは、体育館で各寮や活動団体が出店をしました。私の寮では空き瓶に絵を描いて作ったキャンドルや手作りクッキー、ケーキを売り、他の寮ではミニゴルフゲームなどが用意され絶え間ない歓声が響いていました。ある朝のチュータータイムではクリスマスカードを描きました。クリスマスを一人で過ごす人たちに贈られるそうです。
キャンドルにお菓子作り、そしてお絵描きも、自ら楽しくてやったことが他人に届き、そして喜んでもらえるのなら、これ以上のことはないでしょう。
色々な人との関係を築くには、多彩な嗜みを持つことは必須だと考えます。大学生活では自由時間を自分でどう活用するかが重要です。料理の腕を磨いてお客を招いたり、美術館員のボランティアやレストランで接客のアルバイトをしたりと、英国の日常に飛び込んで文化や作法を学び社交性を鍛えていきたいです。
文化と言えば、英国では演劇が美術、音楽と肩を並べて一つの教科になっています。演劇経験皆無の私もオーディションを経て、今年の学校全体の劇に僅かばかりですが出演します。知り合いの大人が、先日劇に出てきたわ、なんてさらりと言うのに憧れて、人に魅せるということについて勉強し、この先も演劇を趣味の一つとしていけたらなと感じます。
今年度より私はPR (Public Relations)という最高学年の学級委員会のような組織の中でSustainability担当を務めています。オープンデーにて受付や校内案内のお手伝いをしたり、入学試験を控える親子と話したりと、学校の顔として相応しい振る舞いを日頃から心がけています。クリスマスキャロルを教員室にてPRメンバー皆で大合唱したときには、先生方から笑いと拍手が送られましたが、観客も歌う側も言葉にできない昂揚や満悦を得られるのは全く不思議な歌の力です。校長先生宅での夕食会やハイテーブルというフォーマルな食事の機会もありました。料理の感想を交換したり大学進学について会話したり、一秒たりとも口は閉ざされません。話の種を蒔き続ける相手がいる以上、発芽できる土壌が用意できるように先を見据える力や状況に応じて機転を効かせる術を身につけます。
種々のお役目を通じ、先生をはじめ卒業生や事務員、調理人の方々と接する機会が増えました。学校生活において忘れられない思い出をより多くの人がつくれることを願って、人と人との繋がりを広げられる存在、そして学校をもっと楽しい場所にさせたいという情熱が他人にも伝播していく存在を目指し、過去の体験をもとに次回どう向き合うかを考え続けます。
人との繋がりというものは、如何なる所でも求められると実感しています。クリスマス休暇中は頻繁にランニングに出かけたのですが、近所の岡の天辺から見渡せるバースの景色が、靴の紐を結ぶ触媒となりました。霧が立つと辺りは一面白く塗られ、雨の降った翌朝は、からっと晴れた淡い青空に太陽が昇っています。四時を過ぎればピンク色の空を背に夕日を拝めます。靴についた泥は草がぬぐい落としてくれます。霜が降りた日には、太陽の昇るごとに徐々に溶け出す様子を観察しながら、サクッサクッと太鼓になった地面に足跡をつけるのに夢中になりました。走っていると、狭い道だからというのもありますが、向かってくる人が笑顔で道を譲ってくれたり、犬の散歩をしている人におはようと挨拶をしてもらったりと、心温まる多くのことに出会うことができます。ですから今日も、どんよりした天気のことは忘れて屈伸を始めます。
学校でもホッケーを通して下級生との繋がりを広げられています。常に声を張って、仲間や敵のプレーを称える子や、普段すれ違うときに満面の笑顔をもたらしてくれる子は、学年関係なく見習うべき存在であります。
ハロウィンの日のことですが、毎週日曜の朝に通う地域のランクラブの行事というので、日の落ちた街を六十名ほどの老若男女が色とりどりのライトを手に駆け巡りました。大音量でお祭り気分をさらに盛り上げるスピーカーを背負った人や、警官や街行く人から貰う歓声に声を上げて応える人など、名前も知らない人たちと共に走り、また知らない人に手を振ることができた幸福は忘れられません。地域の活動内での繋がりの強さや、それを見守る周りの暖かさに触れることができました。
普段、散歩に行くとなると、小さな滝壺を持つ森林などへ車を十分ほど走らせるのですが、ここでもやはり行き違う人との会話は日常です。この先は深いですか?なんて、小川を冒険しようという私たちと同じ好奇心を持つ他人に聞かれて、笑い合います。街中でも額に汗を光らせて、ご褒美であろうチョコレートバーを手に握りしめたランナーをよく目にします。すぐ近くにランニングコースや自然に囲まれた散歩道を持てることは有り難いですし、また、そんな熱心なランナーは周りに活気を伝染させてくれるので、とても好ましい光景です。
皆さんは、お正月料理を楽しみましたか?私はクリスマスに、ポテトやターキー、ニンジンにヨークシャープディングなどが溢れたローストディナーをいただきました。食べ物の話をしますと、以前に海苔巻き煎餅をホストファミリーに勧めたところ、梅干しのような顔をされました。生の魚や卵を食べると言うとひどく驚かれ、私には無理だ、などと食わず嫌いされてしまいます。私はそれでも必ずや、蒸し暑いじめじめした気候下で、冷えたうどんに生卵や納豆、オクラを混ぜて食べたら、その真の旨みというものを感じてくれると信じています。育った環境が違うから好みが違うのは当たり前だ、という人があるかもしれませんが、少なくとも、ものの考え方は文化による制約はないようです。と言いますのも、私の説明する日本の自然崇拝やいただきます文化を興味深く聞いて、気に入って同感してくれるホストファミリーや先生が多数いるからです。
このように身についている価値観を伝える中で、自分は日本の伝統を含めた文化や歴史、自然について無知であることに気付かされます。また中国人の友達の方が私よりも日本各地を旅行している事態に陥っています。このバースの街についても同じですが、身近なものにこそ常に新鮮な眼差しで向き合っていき、学び続けます。
英国文化の一つにクリスマスの風物詩、パントマイムがあります。これは黙劇ではなく、ジョークたっぷりの笑劇なのですが、ホストファミリーの親戚の子が劇団員ということで白雪姫と七人の小人を観に行きました。私はその劇の形式に最初から最後まで圧倒されたままでした。なぜかと言いますと、演者の投げかけた言葉に観客が大声で応えたり、舞台上から巨大ビーチボールが飛んで来たり、その日訪れた演出者の家族の名前が読み上げられたり(つまり私の名も呼ばれまして大歓声で返すという慣例に倣いました。)、継母の意地悪な台詞には大ブーイングが起こったり、とこんなに大勢の観衆が一つになって劇に参加していることに終始感激していたのです。幼い子供も思うがままに叫ぶことができますし、大人も次々に繰り出されるジョークに声を出して笑うことができます。
表現豊かな子供は、喜びも悲しみも、全身を駆使して爆発させてくれます。そんな子の好奇心をくすぐろうと、あるいは赤ん坊をあやそうと、私たちは想像力を働かして笑わそうとします。学校の活動で街に住むウクライナの子供たちと遊ぶ機会があったのですが、頭を搾って遊びやルールを考えたり、そのさらに細かいルールを聞かれて思わず戸惑ってしまったり。間違えたって、一緒に笑って一緒に成長したいと思います。
パントマイムはクリスマス限定であり、そのことがまた人気に拍車をかけているのではないでしょうか。一年の内で特別なハレの日というのは、めりはりをつけるのに役立ってくれます。大掃除や年越しそば等も新年を迎えるための心の整理をさせてくれます。隣の家で、十一月初日にカボチャが覗いていたはずの窓からサンタクロースのぶら下がっているのを目撃しましたが、楽しみにするものが常にあるということで微笑ましいです。新年度最初の学校の日は、新しい寮生を出迎える役目があったのですが、休日気分に浸っていたかった感覚はたちまちどこかへ吹っ飛ばされ、次々と緊張した面持ちでやってくる子と親御さんの対応に当たりました。
最高学年の仕事に、夕方の寮での手伝いというのがあります。下級生の話し相手になったり先生の手伝いをしたりするのですが、たまたま寮母さんが少し留守だった間に私が下級生たちを寝床へ追いやらねばならず、他の子の部屋に隠れ潜む子をつまみ出したり、なぜかお互いを床に押し付けようとしている三人組を引き剥がしたりと奮闘しました。私の寮には総勢五十一名の、愉快でまだ幼く可愛らしい子たちが暮らしています。国籍も母国語も違いますが、どんな子だって、一対一で話してみれば各々面白い何かを持っています。私は、皆が話しかけたいと思ってくれる存在になり、寄ってくる子たち同士を繋げられる人でありたいです。
ソーシャルジャスティスグループの活動で、障がい者の方とそのご家族のお茶会を手伝いに訪れました。そこに、連れの五歳ぐらいの子供が一人でいたので一緒に遊んでいたのですが、その子が自分の名前シールを、一生忘れないように!と言って私に差し出してくれたのです。ホストファミリー宅では八歳の娘さんが、寮へ戻る私に描いた絵を渡してくれます。人と別れるのは寂しいです。けれども私は自分の気持ちと、自分が忘れなければ、ずっと一緒にいることが叶います。自分の想いを忘れないことは相手の想いを忘れないことでもあると心に留めて、常に自分の抱く感情を大事にしていきます。
ロンドンデザインフェスティバルは、毎年九月中旬に行われる大規模の展示会ですが、そのボランティアに応募し、新学期最初の二回の週末をロンドンのホストファミリー宅で過ごしながら参加しました。ロンドン各地にある会場から自分の希望した場所に割り当てられ、訪れて来る人への作品紹介や会場設営のお手伝いをしました。様々なインスタレーションと半日ずつ向き合ったことで、アーティストはどんなことを考えていたのだろう、や、その人もまだ気づいていない作品の面白さは何だろうか、と思考して得た自分の解釈をお客さんに共有したり、他のボランティアの学生や大人、会場の警備員やアーティストさんとの交流から、その方の自国のお菓子やご飯を分けてもらったり、新たな視点や価値観を教わったりと、ロンドンという大都市の中で、以後会うことのないであろう人たちと貴重な時間を共有することができました。また、ホストファミリーとも夕食時にゆっくりお話しをすることができました。私の将来の夢にじっくり耳を傾けてくれたり、ご自身の半生を語ってくれたり、娘さんの小さい頃の写真を引っ張り出して宝物を見せるように思い出を共有してくれたりと、こちらでも電車を乗り継ぎ歩き回って疲労困憊した身体をやさしく癒していただきました。
どのことも、思い出すとまるで絵日記を読み返すように、私の目を見て話す相手の顔がよみがえります。その場その場で、巡り会った想いを膨らませるだけ膨らますことが、周囲の事象に想像力豊かになるということで、それを将来思い出すとき未来への創造に繋がると思って、相手と自分の気持ちに素直になり、一時一時が一生でただ一度きりであることを尊び、生きていきます。
財団の皆様、いつも私たちを支えてくださりありがとうございます。皆様の想像するものよりも、もっと広くてもっと長い、楽しい未来を財団生挙げてつくっていきます。
度々連絡をくれたり年賀状を送ってくれたり、一人部屋にいる私に声を上げさせ笑わせてくれる敬愛する友人たち、そしてどんなときでも、遠くに住む私を想っていてくれる家族に、表現できる限りの感謝を申し上げます。
皆さんにわくわくする一年が訪れますよう