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Hさん(女生徒)都立日比谷高等学校出身

ホストファミリー宅にて。私の暮らす屋根裏部屋はまるで温泉にあるサウナのよう。天窓から覗くお庭には、子供五人が悠々と大燥ぎで水のかけ合いっこができるプールが設置されており、芝生の上にはレジャーシートにビキニ姿の大人達が寝そべりながら、来訪を告げる玄関のチャイムに顔を見合わせています。

この屋根の下では、多種多様のイベントが起こります。バーベキュー、といっても肉とネギの串刺しではなく、ハンバーガーやドーナツを焼くもの、に始まり、ピザもクレープもそれぞれ専用の窯と焼き機で作ってしまいます。学校の中でもお楽しみ行事は年中無休です。巨大ブルーシートを校庭の斜面に敷いて、ホースの水と表面をつるつるに仕上げる洗剤を流せば、なんとウォータースライダーの出来上がり。曇り空に笑われながら、皆が寒さと恐怖と興奮とに体を震えさせながら、真っ逆さまに滑り下りていきました。学期終わりには、徒歩圏内にある劇場を借りて成績優秀者などの表彰式が音楽に盛り立てられながら大々的に取り行われました。バースという町の中でも、あらかたのチェーン店は揃っていますし、季節に応じてスケートリンクや遊園地などもやってきます。商業の中心地から十分も車で離れればもうそこは果てしなく広がる草原があります。では反対にこの場所にないものはというと、思い浮かぶのは、言語の話になりますが、オノマトペと敬語でしょうか。

近場で多様な体験ができるというのは学校を通じて参加可能な大規模イベントもその内の一つです。以前お話ししたTen Torsですが、本番のレースになんと、参加することができました。ルート内2番目の速さで45マイル完歩という見事な結果に終えられたのですが、その道のりには驚嘆すべき事実が山々ありました。その一つに、実は私は補欠メンバーだったということが挙げられます。出発前日の夕方6時過ぎに、先生に呼び出しを受けました。メンバーの一人が体育の授業中に軽度だが脳震盪を起こし参加できなくなった、と伝えられました。メンバーに選ばれず、チームを支える会話力や経路を誘導できる方向感覚の不十分さを痛感し、がっくりへこんでいた私でしたので、もう明日からの予定を聞かされながらも、湧き上がる興奮に顔をにやつかせていました。その怪我人の子の心配も抜け目なくし、しかし喜び勇んで、早朝意気揚々と出発したのでした。他にもまだまだハプニングは続きました。一日目のお昼過ぎでしたが、ブーツの紐が切れ、そのために足首を捻り、歩き続けることが困難でありこのままではチームを引っ張ってしまうと自分で離脱を決意した仲間の一人がいたり、熱中症に陥った他のチームの生徒を救出するヘリコプターのプロペラの音を何度も聞いたり。汗と涙にまみれた大冒険だったのですが、一番強調したいのはやはり、最後のゴール地点にて何百もの人が大地に、心に響く拍手を送ってくれたことです。一夜目に歩き疲れた体をテントで横にしたのは夜11時。翌朝4時に起床、再び歩き始めた私達はお昼前に、少し気恥ずかしくなってしまうほどの大きな大きな拍手を全身に浴びながら、なぜか早歩きで、その温かい、とっても長いトンネルを、抜けたのでした。


先ほど言語の違いとして敬語に触れましたが、言語というものが担う部分、それゆえ日本語における敬語の役割というのは計り知れないと感じています。このことに関心を持ったのは、TOPSという夏季休暇中に財団の行うオックスフォード、ケンブリッジ大学にてのサマースクールに参加させていただいたことがきっかけでした。八期の語学研修生や大学の先輩や先生方と会話を重ねると、自分が長らく日本語の相槌の突き方を忘れていたことに気が付かされたのです。相槌や合いの手による間合いが、絶妙な空間をつくり出し、会話する者同士がお互いの理解が追いついているかを確認できているのだと実感できたのです。俳人の長谷川櫂さんは、日本の文化を間の文化、と捉えましたがこの相槌というのも、実は会話の中で間を取る仕事をしているのではないかと思いました。会話をする姿勢や言葉遣い、そして内容も、例えば時宜にかなった話題を選ぶことも、それぞれ全てが、場の雰囲気を構成する要素であります。そのときの相手との会話をいかに大切にしようとする姿勢が窺えるのではないでしょうか。

言葉遣いを起点に話し手の表情や姿勢、仕草が形づくられて行き、思考を表した言葉が、その人の行動、習慣、さらには性格、運命へと全て繋がって行く。日本語Aレベル試験の課題図書の一つでもある、吉本ばななさんのキッチンでは、人はその人の人生を生きるようにできている、と述べられている箇所があります。私も毎日の積み重ねがきっかけをつくって行くということを意識し続けたいです。なぜならそれが日々の中に機会を見つけ出すこと、見出すこと、感謝の念を思い出すことに繋がると思うからです。例えば、日本の茶道における問答は茶の間においての精神やお互いの感情を共有することを促し、道具やお茶一杯に込められた思いに耳を傾け、有り難みに浸ることを可能にしていると思います。

ところで、会話の盛り立て役の一つには美術があり、それは日常のここかしこに散りばめられています。例えばカフェの壁に掛けられた絵画。先日、地理のNEA、non-examed assessmentという試験以外に成績として評価される、自身で研究を行うプロジェクトの一環で、カフェで人間観察をしていた際にふとその絵画の役割に気づいたのです。

そのNEAプロジェクトというのは、生徒が自由にテーマを選び、夏休み中に必要となるデータを自分で集め、その後は分析や考察を進め結論を導き出して行くものです。ある人は、海岸にて波の波長や浜辺の大きさを測り、将来起こり得る海面上昇の影響について研究して行きますし、私は、グローバライゼーションの影響下にあるバースの町においての社交性や利便性などを考察して行きます。私は丸一日を町の特定域内で過ごし、この場所が一体どんな人が、何をするための空間であるのかを探るため、写真撮影や環境の質調査を行い情報収集に努めました。他人の行動や町並みだけでなく自分自身の経験も、観察対象となります。日本人の、学生であるこの私がこの場所のアイデンティティの一部を形成していると言える、というのもそうなのですが、私が得た感情や感じた雰囲気さえもが、この場所の存在意義に対する分析においては貴重な証拠の一つとなるということです。極限まで人間の主観を無に近づける科学と一風変わった側面も、地理という学問の魅力の一つでしょう。

というわけで私は町の店で欲しいものを購入したり、スーパーマーケットの買い物客の人間観察を行ってみたりと、自分の好きなように時間を過ごし、その時々の感情や考察を記録していました。新たに発見したことは、どんな場所であっても自分なりの目的を見出せば全く別の空間へと様変わりさせられることです。つまり、買い物という目的しか提供しないと思われるスーパーマーケットですら、社交を求めることができるということです。フランス人作家のAnnie Ernauxさんが、あらゆる種類の人間が集える場所としての価値をスーパーマーケットに見出しましたが、私もその考えを参考に、他人の買い物かごの中身や足の運び方を無遠慮にも凝視し、その人の生活様式や社会的立場を勝手に想像するのに没頭していました。以前、近くの市民プールにて、学校で所属するソーシャルジャスティスグループで交流のある知的障害者の方の一人にばったりお会いしたことがあります。その男性はガーデニングや一定時間内に泳げるだけ泳ぐという募金活動を一緒に遂げた方だったのですが、嬉しくも私のことを覚えていて下さりました。また来学期会いましょうねと言葉を交わし別れたのですが、このときはプールが、私に対しては、泳ぐ場所から思い出の人に会える場所へと転身したのです。

私が初めて障害者の方達にお会いしたときには、どう接してよいものか、図らずとも自分が彼らを、身体能力に限りのある子供のように扱ってはいないか、と頭を悩ます部分がありました。ですが、プールでの再会に純粋に顔を綻ばせられたように、一人の人間として接して行けばそれでよいのだと今は思っています。障害者、なんて言葉にはなんの意味もありませんから。それは、私は地球人です、と自己紹介するのと同じであり、地球人の中には誰一人として同じ人間が存在しない以上、自分で経験し悩み、考えて行くことでしか相手を分かること、また自分を分かってもらうことは不可能なのですから。

パリ五輪のボクシングにて、性別に関する議論が交わされました。ホルモンの違いがどの程度、試合結果に影響を及ぼすかの科学的証拠が求められているそうです。けれども、種目によっても、あるいは個人によっても、筋肉や精神、外見などの体の使い方は、比べる余地がないほど大きく異なっているのではないか、と考えてしまいます。東京パラリンピックの際に、私が大変衝撃を受けたのは、口で卓球のラケットをくわえて戦う選手や、手足を使わずとも目にも留まらぬ速さで泳ぎ去る選手だったのですが、彼らは自分だけにしかない体を、感情を、全面に出し最大限に活かしていました。個人個人が違う能力を持ち、それぞれが自分の体を駆使するのがスポーツであり、その新規性や創造性こそがスポーツが訴えかける力であるのならば、オリンピックの際に出るメダル獲得数ランキングなどは一体全体何のためかと疑問を持つのですが、それが会話に花を咲かせられるのならそれはそれでよいのかとも感じます。以前私は、人は一体感を感じられるが故にスポーツに熱狂できるのではないかと言いました。けれども今は、人がスポーツを愛す理由は、スポーツが今この時、この場所、この人達の間でしか生まれない物語だからなのではと考えています。生命の誕生と同様に、たった一つの独自性と固有性に惹かれているのではないでしょうか。さりとてもちろん、今朝起きて目にする景色は昨日のそれとは全くの別物であることを踏まえれば、スポーツに感動を見つけられる人間は、一日一日に対しても同じ情熱を注げるはずでしょう。

NEAに話を戻しますが、私が調査を行なった地区は都市開発が行われた所で、立ち並ぶ店のほぼ全てがチェーン店です。この地を代表する黄土色のバースストーンを無視して店名だけを見たら、ここがどこの町なのか、はたまた国名さえも、断定するのは難しいでしょう。しかし、この見解はその場にいる人間を排除した考えであります。一人一人が得られるどんな経験も、そこでしか、そこにいる人との間からでしか生まれ得なかった物語だからです。ですがそうは言っても、チェーンではない玩具屋さんのショーウィンドウから覗く、可愛らしいネズミの人形や木のお家を足を止め指差す人を見ると、店の提供する商品やサービスが広げられ、また狭められる可能性というのはやはり存在することを身に染みて感じます。全ての店がこの場所にしかない特有のものであったなら、もっと楽しい経験がもっと沢山の人に共有されるのではないかと思いを巡らせてしまいます。果たしてマクドナルドやH&Mが軒を連ねる町は、誰のための場所なのでしょう。観光客が好む店だから、と言いながらも実は皆が、誰かがZARAの服がいい、と言うから店に入るだけであって、自分の意思で行動している人は少ないのではないでしょうか。先日初めて訪れたホストファミリーは、農園のようなお庭で育てた野菜と果物をふんだんに料理に取り入れたり、黒毛の牛と三羽の鷹が優雅に天高く飛行する、町を一望できる丘まで散歩に連れて行って下さったり、とこの地に住むからこそ味わえる体験、バーベキューやピザを庭で焼く楽しさとはまた違ったものを、うんと見せてくれました。このような暮らし方は、流行などには左右されぬ、時代を超えて共有できるものなのかなとも思いました。


夏休み最初の一週間は、学校のミュージックツアーで再びバルセロナを訪れていました。巨人の指がにょきにょきと地面から突き出ているかのような崖に挟まれたモンセラートの大聖堂や、市中心部にあるサンタエウラリア大聖堂にての合唱に、浜辺でのオーケストラ演奏。言語を使わずして、観光客や現地の方から温かい拍手とお言葉を頂き、音楽が人々を繋げる偉大さをひしひしと感じました。

今回はサグラダファミリアの中を見学することが叶いました。自然が教科書、と語ったガウディの設計の下、木の幹のように地面からたくましく建物を人々を支える柱や、太陽の位置を考慮して巧妙に配置されているステンドグラスが燃えるような赤や氷のように冷たい青など七色の光を放っているのには、全ての箇所に脱帽です。そのときはガイドの方から歴史の説明などがあったのですが、少し気に掛かることがありました。写真の撮り方を教えられたのです。ここに立ってこの角度から、この写真の設定で撮ると、、、というようなものです。写真というのは確かに、現地に来ることができぬ人に感動を共有できる媒体であり、優れものであります。しかしながら、写真はあくまで背景から切り離されたわずかな一片であり、もちろん匂いや手触り、そしてシャッターを切った本人の思いを直には伝えてくれません。その他にも、何年までには完成の予定だとか言われたときも、同じ心境に至りました。サグラダファミリア建設において、私の顧客は急ぎではない、と残したガウディの意に反してはいないかと感じたのです。客の要望に答え、作業に掛ける時間と費用を最小限に抑えて完成させる建造物とは一線を画し、時を超え世代を超えて、あらゆる国から集う職人の手で技術を発展させながら、後世に想いを伝え続けて行く作品、それがサグラダファミリアではないかと感じたからです。国境を超えて訪れて来る人々にとって、かけがえのない体験をもたらせる作品が今、表面上だけで完結する収入目的の道具に姿を変えようとしている危機感を、私は感じたのです。


ところで、英国でのオリンピックの報道を観て感じるのは、選手の密着取材を徹底し大会をドラマ化する日本のそれとの違いです。英国では選手のインタビューはあっさりとしていて、そしてそもそも英国人選手がいつ、どの種目に出場するのかさえ分かりません。日本では選手を選手としてではなく、一人の人間として捉え、彼らの個人的な苦境や努力を知ることでその人を理解したいという不思議な欲望が強いのかも知れません。けれども例えその人についての情報が何も与えられなかったとしても、例えその人が自国ではなく海外の選手だったとしても、違う文化や外見、能力を持った人々がそれぞれの特性を最大限に巧みに使いこなす技に、憧れや感嘆の意を抱くことは可能です。なぜならそれは、その時でしか生まれ得ない、その人にしかつくれないパフォーマンスであり物語だからです。余談ですが、日本人が有名人の私生活に関心が高い傾向に相反し、街中ではヘッドフォンと携帯電話を使いこなし外部からの一切の会話や交流を遮断しようとしているのは、何故なのでしょうか。 憧れ、という他人から影響され抱いた想い、について話をしますと、TOPSにて後輩である八期語学研修生と過ごした時間が私にとっては、様々なことを感じられた機会になりました。留学生としては選ばれなかった子達が、これから先どうして行こうと仲間同士で考え、悩み、話し合う姿を目の当たりにし、英国でAレベルの授業を受け、英国の大学に入ることが当たり前に思えて来てしまっていた私の心を揺さ振ったのです。もし私が今、日本の高校に通っていたならば、どんな目的を持ち何を目指して努力していたのだろう、と。どんな環境においても日常にあるきっかけに気づき、常に高みを目指せる人間でありたいと思います。

地理のNEAプロジェクトに再び話を持っていきますと、先生には実験的なものにするのだと繰り返し教えられています。テーマに合ったデータ収集方法や再現方法など、何が一番、自分の分析と考察に説得力を持たせられるのかを試行錯誤を通じて探って行くのだ、その過程自体に意味があるのだと。自分で立てた仮説を現地での調査やネット上の文献を漁り検証を進めて行くことで新しい繋がりが発見でき、更なる好奇心がくすぐられています。


TOPSの際、イギリスの大学に通われた日本人の先輩にお会いしたのですが、学問の最先端を行く教授と言葉を交わすと、自分とは違う世界の住人であると認識して悲しくなる、とおっしゃっていました。自分の知らない新しいことを吸収できるのは楽しいけれど、自分と相手との差に気づいてしまうと。好きという情熱は、怖い気持ちを必ずしも超えることができないのか、そもそも好きになる理由がなければ、続けることをためらってしまうのか。理由がなくてもやりたい、理由がないからこそやるもの、ということのほうが、この世の中には多いのではないか。そんなことにも思いを募らせることができました。


私はもっと沢山の体験をし、知見を広げ、波紋のように伝播して行く人間関係を築き、もっともっと多くのことに触れて行きたいです。それはただ、楽しいからです。論理的な理由などはその根底には存在しません。自分の好奇心や欲望に従い、日々の光景に疑問を見出だし、考え、調べ、追求し続けます。そして、そんな生き方ができる環境を私に与えて下さっている財団の皆様や、親切に接してくれる町の住民、学校の先生や生徒、日本の友達、家族への感謝の気持ちを忘れず、努力というものはたった一人でできるものでは決してないことを、私は、努力をさせてもらっているのだということを憶えておきながら、生きて行きます。