あっという間に、布団を二、三枚重ね、少しでも分厚いタイツを探し求める生活から、半ズボンのまま外で日光を浴びながら読書、という理想的な春の生活へと180度転換しました。日照時間は長くなり、サマータイムへも切り替わった一日は活動時間が伸びたように感じられます。私の起床時間は太陽に追い越され、ホストファミリーの子供達と庭でトランポリンやラウンダーで遊べる時間は夜8時まで延長されました。天候にも劇的な変化が起き、心身共に影響を受けています。一体、空というのはどんな色であったかと思わせた雲はその場を譲り、淡い青が上空を占領しています。けれども、鳥の囀りが聞こえた次の瞬間には窓ガラスを打つ雹の音が耳に入ってくるのは、さすがこの国の空の気まぐれ振りを体現しています。一日中太陽が出ていたのは何十年ぶりか、今日は今年で一番いい日だ、と事ある毎に上気させた顔で皆が口を揃えて話題にしますが、嬉しいことにその予想は外れ、いい日は日々更新され続けています。
今学期最終日を彩ったのは青、ピンク、茶の3色でした。ピンクデーにちなみ、男女問わず大勢の生徒がフリルスカート、頭巾、天使の羽根など、何かしらピンク色のものを身につけて授業に現れました。午後には寮対抗のハウスクロスカントリーが開催され、全校生徒、そして体育会系の先生が晴天の下、2日前の雨が用意したぬかるんだ4キロの舞台を駆けました。沿道に立つ先生や歩く生徒からの声援を背に、2着でゴールすることができました。メダルの授与、集会での名前読み上げのおかげで、友達やあまり接点のない先生からも称賛の声をいただきました。
先生方が学校行事に参加者として関わる、というのは印象的です。ある日曜の午後は苗木を植える機会が設けられたのですが、そこでもお子さんを連れた先生と一緒に、絡まり合う根にスコップを突き刺し、乗っかったり左右に捻ってみたりと悪戦苦闘しながら、このか細く不安定な木をいつか下から見上げる日が来るのだろうかと思いを馳せながら、土を被せました。また講演などが開かれる時も、生徒と机を並べメモをとる熱心な先生の姿が目に入ります。年に数回あるディナーにも、招待された先生がおり、ドレスアップした私達は普段とは一風変わった豪華な夜の一時を過ごします。過労死、という言葉が飛び交う現場では、生徒を思って採点や添削に追われる先生がいます。しかし他方、生徒と共に過ごす勉強以外の時間というのも、信頼関係や個々としての関係性を築いていける大きな要因にもなると感じています。
学期末の集会では学期の総括がなされます。それはいわゆる先生によるお話し、休みの過ごし方や今学期の生徒の評価ではなく、生徒主導の写真と動画をふんだんに使った活動報告であります。中には寮生の生活をまとめた動画もあり、週末に設けられたボーリングやラグビーの試合観戦、ベイクオフ等の様子が全生徒の前で流されました。このベイクオフは世界文化遺産をテーマにケーキを作り、味、見た目、新規性を競う大会で、キッチンを小麦粉、砂糖、卵まみれにさせた私の寮から最優秀賞が選ばれました。ネパールと中国との国境に位置するヒマラヤ山脈を模したケーキの上に雪男が立っているという、異なる背景を持つ生徒が協同でつくり出した、まさに国境を越えた作品でした。寮生生活の後は盛り沢山のスポーツ。試合風景やトロフィーを掲げた笑顔が次々と映し出されていきます。私は、他の生徒が収めた成果や各種目チームキャプテンによる活動報告が聞けるこの場が好きです。それぞれが経験した感情を皆で分かち合える、笑い声がスクリーンを飛び出し広がっていく時間だからです。私は今学期の体育ではクロスカントリーを選択し、近く、といってもバスで片道2時間程かかる学校にてレースに度々参加をしたのですが、この競技にもチームキャプテンが存在します。個人個人のレースではありますが、私達は一つのチームなのです。仲間に声援を送り、称え、ライバルになったとしても喰らいつくことで、一緒に戦っているのです。ホッケーの試合にて最多得点を決めた寮が公表され湧いたお次は、音楽。歌手とピアニストである卒業生の兄弟とそのバンドメンバーとをお招きし、一日を通し楽器毎のワークショップ、そして夜にはオーケストラとクワイアの生徒との共演を含むコンサートが開かれました。楽譜は見ずにリズムを感じて演奏をする。誰よりも観客が、見て楽しめるように演奏する。これらのことを、堂々とした姿勢、抑揚のあるリズム感抜群の話術で客を引き込み、講堂をコンサートホールへと見事に一変させてみせた彼らの自信と笑顔に満ち溢れた演奏を見て、学びました。コンサートにおいて音楽は、聴いてもらうものではなく見てもらうものであるということです。ソロを務めた生徒、観客が総立ちで手拍子を始めた会場の盛り上がり様などについてが伝えられました。
大会や行事、あるいは日常生活の様子をカメラに収めてそれらの経験を共有することは、とても意義があると思います。どんなに小さな経験でも、何もしないゼロの状態からはかけ離れた、貴重な、踏み出された一歩であります。自分の成し遂げたことが記録され、皆に共有されるということは、共有した人の想像を遥かに超え、その人の自信や更なる挑戦への原動力へと繋がり得ます。また経験の反芻は、感謝の気持ちの反芻でもあります。行事を企画して下さった先生や相手校の方々、支えてくれている家族や寮母さん、あるいは時を共にした仲間の存在あってこその経験であったということを改めて噛み締められるのです。そして相手の存在があって踏み出せた一歩は、また次の誰かの背中を押すことになります。ハーフマラソンを完走し障害者の方への支援金を集めた寮母さんや、休暇を職業体験の一環で農場で働き過ごした友達は一番身近な牽引車ですが、このような集会の場で知り得たスポーツ分野で異彩を放つ子、劇団に所属する子も皆に夢を与えてくれます。学校内に限らずとも、ネットを介せばどんな年齢や人種の人にもそれは伝播する可能性があります。さらに、記憶の反芻は過去の自分自身を振り返り、今の自分を鼓舞するきっかけにもなります。時に過去の自分に引け目を感じ、時に自分の成長を客観視する。
経験を、一度切りの有難いもの、では決して終わらせず、折に触れて反芻し、相手と共有し、たまに美化、誇張をして、それを原動力に次の経験へと、新しい誰かの挑戦へと繋げていく。常に体験を共有することが習慣化しているこの文化は、相手あってこその人生であるということを伝えてくれている様な気がします。
日常会話においても例えば、今日何したの?と聞かれたら、みなさんは即座に応答できるでしょうか。相手と共有することを念頭に置いて、物事に向き合っているでしょうか。少し時間があればランニングに出掛けてみる、近くの美術館を訪れてみる。これらの細やかなことは大きな話題となります。また実際に、ほんの少しのやる気や勇気というものは、予想もしない新たな出会いや発見へと繋がっているように思います。私の例を挙げますと、学校の美術の先生やガーディアン、ホストファミリーの親戚達に、あの場所で疾走してたね、と知らず知らず目撃されていたり、バース歴史博物館にては、館員の方が懇切丁寧にソフトドリンク製造の歴史や昔の玩具の遊び方を教えて下さったり。地域内の繋がりを求め、街へふらっと出てみるのはなかなか心地の良いものです。近所の公園では毎週日曜の朝に地域のランクラブが30分間のランニングセッションを行なっています。速さ、距離はお好みで、走るも歩くのもよし、スクーター、自転車、ベビーカーに乗るのも、飼い犬を連れるのも大歓迎。走り終えたら皆のチームフォトを撮りプロテイン豊富なシリアルやドリンクをご馳走になるという、顔見知りを増やすきっかけにもなる爽やかな朝を提供しています。イースターの朝には、抽選でダチョウの卵サイズのチョコレートでできたイースターエッグをもらいました。イースターという行事では、クリスマスで言うところのサンタクロース、イースターバニーという存在があって、その卯が卵を運んで来ます。今回もクリスマス同様、ホストファミリーの親戚一同が集い庭中に卵や卯型のお菓子や飾り付けを隠してそれらを探し出す、イースターエッグハントを楽しみました。
教科について、少し触れたいと思います。美術では、与えられるのは文字だらけの教科書ではなく、真っ白のスケッチブックです。初めはその白に圧倒され、何を加えていけばよいのか途方に暮れていました。しかし様々な表現方法やアーティストに触れ、日常でも自分のアイデアに紐付く写真が撮れないかと意識し模索する中で、例え思った通りの結果にならずとも偶然生まれた色や模様、アイデアが浮かんで来たり、そしてそれがまた先生に別のアーティストを紹介してもらうことに繋がったりと、一つ一つを発展させ、一見離れたかと思ったアイデア達がまた別の繋がりを共有していることに気づく愉悦に浸れるようになりました。
これは地理においても同じことが言えます。一つ一つの自然地形、人間の営みから伸びる関係性を縦へ横へと広げ、繋ぎ合わせていくのです。疑問を抱き、考え、調べ、また疑問を持つことの繰り返しによって時空を超えた繋がりを探っていくのであります。
最後にTen Torsと呼ばれる、ダートムーアの地で6人のチームが45マイルを2日間で歩く、という軍の経営する一大行事について。定められた10のTorという山の頂に聳える岩を、一夜をテントで明かし全て回る必要があります。その本番に向け、メンバー選考も兼ねた2泊3日のトレーニングが休暇中最終週にあり、計50マイル以上を寝袋、水、食料、着替えの服を詰めた肩にめり込んで来るリュックサックを担ぎ、地図と方位磁針頼りに歩き続けました。霧が立ち込める中、足元の丈の長い草に隠された胸まで浸かる危険のある沼に怯え、しかし同時に湧き上がってくる興奮に顔を紅潮させながら必死に一団についていきました。前を行く背中を追うのみで、チームをTorへと導く友達の様には行動できませんでした。足に幾つも豆ができ、お湯を入れてかき混ぜたら出来上がる夕食の味も決して好ましいものではありませんでした。けれども、チームメンバー同士でコミュニケーションを取り、励まし合い、川から汲んだ水を分け合い、見渡す限り辺り一面草原という荘厳な景色を朝9時から夜7時までを通して目に焼き付けられた、この経験は大変に貴重なものでした。
そもそもなぜ、私がこの肉体的挑戦ができているのかと言いますとそれはやはり、周りの人の存在があるからです。先生が全生徒に向けて放った、とにかくやってみよう、という言葉をそのまま受けたから。めげずに歩き続けられるのは、常に声を掛けてくれる仲間の支えがあるから。そして、今度は自分がチームを先導したい、自分にできるやり方で支えたい、と思わせてくれる友達の引き上げがあるからこそ踏み出し続けられる一歩一歩なのです。また今回も、愛犬を連れ颯爽と岩山を登る先生方の指導、サポートが実現させたものだと言うことを忘れてはなりません。
末尾になりますが、私に毎日が刺激的で充実した生活を送らせて下さっている財団の皆様への感謝を、自分自身を振り返り、経験や思いを反芻することで噛み締め、そして、自分がいることで新しい一歩を踏み出せる人達がいることを想って、それをばねに新たな学期にも真剣に、がむしゃらに立ち向かっていきます。