お知らせ

Hさん(女生徒)都立日比谷高等学校出身

年を越してから一段と寒さが増し、気温が一桁台に収まるようになりました。十一月末から始まった長い務めをようやく終えたクリスマス飾りが姿を消し、私の長期休暇も終わりに近づいています。
英国のクリスマスは一ヶ月以上もの間、クリスマスマーケットやアドベントサービス、クリスマスキャロルなどの行事を通じて人々の生活の中で色濃く在り続けました。エルフという小人の人形が寝静まった家でいたずらをする、というお決まりもあり、ホストファミリー宅では毎朝子供の興奮ぶりを、毎夜大人の頭をひねっている姿を見るのが一つの楽しみになりました。ある日にはトイレットペーパーが階段の上から下までを転がり落ち、またある日にはエルフが氷の中に発見され机には助けて!の赤いケチャップの文字が。家族から親戚、知り合い、ホームレスの方までへのプレゼントが床を敷き詰め、クリスマス気分一杯になったところで、当日。親戚一同約三十名が、盛大な料理、プレゼント交換、歌、踊りに湧きました。しかしクリスマス特別の何か、儀式やゲーム等をする訳でもなく、ごく日常の話題に大いに盛り上がっている様でありました。大晦日の夜も、誰かの誕生日も、特別なムードメーカーに頼らずとも、そこに人が集まるだけでユーモアに溢れた会話がいつ何時も笑いを生み出して行く様に感心した次第です。

この秋タームは最初ながらにして最多になるであろう旅タームとなりました。十月のハーフターム中にバルセロナ、オックスフォード、休み明けにマインヘッド、そして新年早々ダートマウスを訪れる機会を得ました。
バルセロナ旅行はAレベル地理を学ぶ生徒二学年対象のもので、約四十名が参加しました。シッチェス、カタルーニャ地方にて実地調査を行い、それぞれ海岸形成とジェントリフィケーションについて主に学びました。英国では目にすることのできぬぎらぎらと照りつける太陽の下、レモンを海に投げ入れて測定した波の方向と速さ、巻き尺と定規を片手に観察した堆積物の形状と大きさ等のデータを元に、海岸における自然作用について、グループでまとめ発表をしました。教科書の紹介する事実と食い違う結果に辿り着いた部分があったのですが、それではなぜ違いが生じたのか、他に影響している現象はないかと思考を広げることに繋がりました。一方、全くの理論通りであったのは街並みの変化。密集した建物のひび割れた壁に貧困を訴える落書きを見たかと思えば一転、巨大オブジェに広場、樹木、高層ビルのそびえ立つビジネス、観光街に出る。人気のない路地の静寂から、往来の激しい喧騒へと移り行く様は、明らかでした。ガイドの方に、余った食べ物は捨てずに街中に置いてと言われたこと、ホテルのバルコニーには決して出ないよう念を押されたこと。この地域の貧困、建築事情なども含め、肌で直に学ぶこと多き五日間でした。
放課後に活動している模擬国連クラブにて募集があったのが、オックスフォード大学での計三日間の会議でした。コレッジ紹介や学生さんによる国際問題に関するプレゼン、自然史博物館見学の機会も用意されていました。各国から集まった生徒達と考えを出し合い、今現在必要とされている実用的な解決策を探りました。
ポーロック、マインヘッドという二つの隣接する地域は海岸保全に対する取り組みに明確な違いがあることで知られており、地理の授業の一環として現地へ足を運びました。グループワークでは現在行なわれている保全事業の持続性をテーマに決めて、防波堤などの設備費用、気候変動がもたらす今後の影響等と、海岸線を守ることで得られる利益、すなわち洪水の被害を免れた場合の大規模商業施設や商店街の売り上げ等とを比較し、考察をしました。街を歩く方々にインタビューを行い、政策の実態や温暖化が進行する中での自然災害の変化、観光シーズン時の賑わい等々現地でしか得られない情報をも参考にすることができました。
新年には数学教諭からお誘いがあったクロスカントリー旅行に参加。ランニング愛好家の先生方三名、生徒六名がロッジに泊まり、施設内のコースから海岸沿いの道まで巡り走りました。その時はしきりに雨が降っていて、氾濫した川の水がラグビー場やら車道やらに湖を創り、荒れた海の波が歩道にまで砂浜を拡大させる有り様で、幸運にも私達の走る時になると不思議とぴたりと止んだのですが、もちろん踏み出す一歩先は泥道か砂道か水たまりのいずれか。けれども、地理で学習したばかりの海岸線付近の地形および土壌、生態系についての知識と、実際に今自分の足が浸かっている地盤の安定していない土壌、そして肌を擦り剥く生命力あふれた植物とを結びつけることができ、知見を広められたと言えます。疲労困憊した体は先生方が作って下さった食事、ケーキが癒してくれたり、ストレッチをしていたはずがいつの間にかニンジャと呼ばれるゲームに変わっていたり、しかしまた遊びも心を癒してくれました。このゲームでは皆で円になって一回のニンジャ動きで他の人の手を叩くことを目標に、最後まで手を払われずに生き残った人が勝者となります。高校生になった今でも、親睦が深まる方法とは初めて遊びを覚えた時から変わっておらず、時を忘れ没頭させてくれました。忍者については他にも、ニンジャウォリアーという、サスケでお馴染みのセットが設置されていて、手甲を模した手袋と鉢巻を纏った子供達が殺到する場が在る様に、未知の文化が独自に発達していることが伺えます。この現実を彼ら忍者はどう捉えるでしょうか。新しい文化誕生に喜ぶか、伝統が形を変えたことに異を唱えるでしょうか。

私は、言語による困難は言語の違いが直接関係しないスポーツが解決してくれるだろうと考えていました。しかし今は、実際に言語の壁を乗り越えさせてくれるものは言語であると思っています。
この国の文化では、声に出して挨拶をすることは当たり前であります。すれ違った顔見知りの先生方は必ず、私の名前を呼び、調子どう?やハイ!と声を掛けて下さいます。まず挨拶をされたら、笑顔を作って挨拶し返します。この時点で私の気分は自然と引き上げられます。そして身近に起きた事や感情を共有します。愉快なエピソードが聞けたり幸せを分かち合えたりと、共に一喜一憂することができるのです。この挨拶という習慣が、自分から口を開き辛かった私に常にコミュニケーションを取らせてくれる、貴重なものとなったのです。気さくに話し掛けて下さる、また話し掛けられる先生の存在は、十人程度の少人数クラスということに加えて授業内での活発な対話に拍車を掛けていると感じます。しかし、私が経験している先生と生徒との交流豊かな関係が全国共通かと言えばそうではありません。英国の中でパブリックスクールの占める割合は6%程。少人数制クラス、スポーツや課外活動を多く取り入れている学校がごく少数であり、したがってこの関係も、限られたものかもしれないということです。けれどもやはり、言語が成り立たせているこの挨拶文化はおそらく共通のものであり、この文化に育てられてきた人達はまた、共通する何かを持っているはずです。

英国での生活が始まってから、声が掛かったものには二つ返事で挑んできました。想像すらできなかった沢山の新しい経験、出会い、知識、考え方を得ることができました。ですが与えられた場に留まっている限りは、機会を活かせていることにはならないと思います。得られた機会の中で、そこからどう次の一歩を自分で外に踏み出すことができるかが大事なのです。疑問を抱いたことを考察したり、興味が湧いたことを深めたり、人間関係から新たな機会に恵まれたりと、手にした機会だけに満足することのない様、努力し続けていきます。

そして、大きな機会が目に見えるわかりやすい姿で現れずとも、日常生活の中に潜む小さな機会を自分から活かせる様、日々過ごしていきたいです。異国の地で新生活に飛び込み立ての頃は、緊張が様々な真新しいことに目を向けさせてくれますが、一度慣れてしまうと、いつもと同じに見える景色に眼を遣らなくなり、新しい気付きを得られなくなってしまいます。この生活に慣れてしまわないためにも、常に好奇心を持って周りを見渡し、小さな発見から興味を広げたり、抱いた驚きや喜びをこの挨拶文化の中で他人と共有できるようにします。勉強においても、興味のあることはどんどん掘り下げて更に興味を広げたり、他教科との繋がりや日常生活との関連性を探ったりすることで好奇心をより一層くすぐれる様、努力していきます。

渡英してから、また渡英以前より、私に多くのことを感じ、考え、学び、そして楽しむことをさせて下さっているTazaki財団の皆様、日本から、そして他の国から文化祭公演の成果、試合結果、勉強に励んでいる姿を共有してくれ、英国にいる私を刺激し続けてくれる先輩、友人、後輩達、そして何時でも寄り添い応援してくれている家族、私の生活を支えて下さる全ての方々に、深い感謝を申し上げます。日々努力することを怠らず、私が皆さんにとって何かの刺激になれる様一日一日を大切に過ごしていきます。