Fettesを卒業して、日本に帰ってきて暑さにばてながらも久しぶりの家、家族と友達との時間を満喫しています。イギリスへの帰国を目前に今までの二年間を振り返ってここにつづりたいと思います。
多くを感じ多くを見た二年間の高校過程の留学はとても実り多いものであったと胸を張って言えることができます。大変なことも山ほど、楽しかったことも星ほどあった生活は毎日がローラーコースターのようでしたが、振り返って総合して楽しかったといえるのはやはり自分が大いに成長できたからのように感じます。友達にも恵まれ、今まで接したことのないようなタイプの人たちと仲良くなり、いろいろな視点からの会話を知れ、スコットランドをはじめいろいろな国の文化を知り、現地の友達の家に入り浸るように遊びに行ったり、エジンバラを散策しに行ったり、ボランティアに参加したり、友達と何かに挑戦したりなどなど思い出は数え切れぬほどできました。友達を作り、ホストファミリーにお世話になり、町で知らぬ人と二言三言交わしたりなどを通して感じたことは、時の記憶というのは人との会話や印象で構築されるものだなということです。景色や見たもの、いったところというのももちろん心に残りますが、何もないところでも思い出ができるというのは、人とのかかわりがどれだけ大事かという事実を明示しているように思います。だからこそ、これから始まる大学、そしてその先に行く環境で人とのかかわりというのを大事にしながら生きていきたいなと感じます。
もちろんその時必要になるのが言語です。渡英時に比べれば信じられないほど英語は上達したような気がしますが、まだまだ自分の成りたいレベルには達していないので向上心を忘れないように頑張っていきたいと思います。そして今よりももっと世界の人とかかわる、仕事をする機会を広めるためにスペイン語に挑戦しようとしています。
最後の一年は特に受験の諸々でとても忙しい時期でした。イギリスでの受験は日本の受験に比べればハードルが低いというのが一般意見ですが、僕は特殊な学部というのもあり、やることが多く倍率が高いこともありとても大変でした。A levelの勉強も今考えてみれば、渡英直後からよくも二年間ぶっ続けで頑張れたなと自分で感心しています。自分の落ち度ではありますが、必死に食らいついた歴史とアートの成績はおおむね満足のいくものと最終的にいたれたのでそこは安心しています。学校内でもアートではThe Andrew Campbell Prize for Artという名誉な賞をいただくことができました。授業の空き時間をほぼすべてアートのスタジオで過ごした努力が実ったと思うととてもうれしかったです。最後のFounder’sでは僕の作品が出ている展覧会が開かれ、友達や知らない子の親など、数々の知らないかたからもお褒めの言葉をかけていただき自信につながりました。中にはインターンをしないかとすこし先走ったような言葉を得ることもでき、Fettesの生徒とその親族のコネクションに驚き喜ぶこともありました。歴史でも、毎週毎週、メンヘラのように先生を追いかけまわしてはエッセイを添削してもらってというのを繰り返していました。そのおかげで先生には僕にはいい成績をとれることを保証するなどと励ましの言葉をいただけるほどになり、最終的に僕が第一号として、文系教科のデパートメント全体からいわば一番努力をした人として表彰されました。他の教科でもいい成績は残すことができ、先生たちからも激励をしていただき、二年間頑張ってよかったなとしみじみと感じました。
学業以外の学校生活でも成したことはたくさんありました。チャリティイベントに参加したり、ハーフマラソンに二年連続参加したり、Duke of Edinburgh Gold Awardを獲得したり、House Prefectになったり、Sports Dayや寮対抗戦に参加したり、トランペットに挑戦したり、バスケットボールでキャプテンとしてHalf Colourをいただいたりなど枚挙できないほど多くの機会に恵まれました。これはボーディングスクールならではの体験であると思いますし、日本の高校とは少し違う生活をしていたからこそ挑戦できたものの数々だと思います。
このような機会の多さは子どもの将来を設計する材料であり、また成果でもあると思います。将来何をしたいか、どのような生活を送っていきたいか、どのような仕事をしたいかなどの希望は経験によって多く変わってくると思います。なのでFettesのように試すことができる機会が多いと、それに頭を突っ込んでいくというビジョンが見えやすいのだと思います。
日本にいたころとスコットランドに出てみて感じたことがあります。それは圧倒的にスコットランドの方がやりたいことや好きなこと、どんなふうに行きたいかがわかっている人が多いということです。それはいつも具体性のあるものであったり、現実的なものであるわけではありません。しかし自分が好きなものがわかっていて、それをどういう風に生かしていきたいかなどの意識が高いように感じます。日本にいたときは将来の夢などないという人が多かった印象です。それは全く悪いことではありませんし、いろんなドアを開けておくのはいいことです。しかし、日本人は将来やりたいことなどということを堅くとらえすぎたりしてしまうのではないかと思います。医者になりたい、世界一周したい、お金持ちになりたい、などの遠い先への希望を“夢”とすることが多いと思います。スコットランドでの僕の友達はそれと異なり、来年はアラスカに行って自然の中で働いてくる、大学でジムに毎日通いラグビーをやる、大学と格闘技を並立させる、アルゼンチンで語学を学んでくるなど多種多様な“プラン”が存在しました。もちろん僕が日本にいたころはまだ若干17歳であったことや、スコットランドでできた友達たちがとんでもなくお金持ちで、できることの幅があることなどが起因する部分も多いかと思います。しかしながら、短いスパンでやりたいことを考え実行に移し、敷かれたレールを捻じ曲げるような勢いで人生を歩んでく姿を見ると人生は多色だなと感じました。日本に帰国してみてもその感覚は鋭くなる一方で、電車に乗る人々の顔色や久々に会った友達を見ているとすこし活気に欠けている気がするときがあります。遠い先に“夢”をもつことは大切なことです。しかし僕は留学で、“夢”は身近な“プラン”にするもので、“プラン”は実行に移すものだなと深く感じました。僕には夢があります。プランも固まってきました。だから、それを曲げないよう、拡張していけるように、自分の唯一の持ち前の努力で必死に頑張ろうと思います。
出発前レポートを見返して、ぼくは後悔をなるべく減らすという目標を立てていました。後悔は全くないわけではありません。しかしながら一時一時を大事に、目標を見失わずに頑張ることはできたような気がします。
Don’t bend, don’t water it down, don’t try to make it logical, don’t edit your own soul according to the fashion. Rather, follow your most intense obsessions mercilessly.
上記はカフカの引用です。これからの大学もその先も、夢とプランが自分のものにしていけるように、後悔の余地を減らしながら猪突猛進していきたいと思います。まだまだ2年しかたっていないですが、過ごした時間を振り返って言えるのは井に潜んでいたちっぽけな蛙である僕が跳び込んだ先は色と影そして実りに溢れた大海原でした。
最後になりますが、二年間お世話になったすべての方々、ホストファミリー、同期の皆、友達、家族そして何よりもこれほどの手厚い支援をしていただいた財団とその役員・事務員の方々には心よりお礼を申し上げます。まだまだ未熟ものですが、より一層精進していけるように頑張ります。長文になった上に自慢のような話になってしまい失礼いたしました。