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Kさん(女生徒)国立東京学芸大学附属高等学校出身

凍てつく風にイギリスの冬の到来を感じる。渡英から約6ヶ月が過ぎた。あっという間に過ぎたような気もするが、思い返すと新しい発見、学びの連続だった。留学し、様々な国の人と関わる上で感じたのは高く険しい言語と文化の壁だ。

渡英前、私は自分の英語力にある程度の自信があった。困っている外国人観光客を見かけた際には積極的に声をかけるようにしていたほか、学校に留学生が来た際はバディを務めるなどしていたため、英語を「使い」コミュニケーションをとり、仲良くなることは容易だと思っていた。ジェスチャーや表情を用いれば自分の弱い部分を補完できるとも考えていた。しかし、現実はそう簡単ではなかった。最初の1ヶ月はネイティブの英語のスピードに慣れず、情報を聞き取ることすら難しかった。相手の話を理解できないのでは、コミュニケーションは成立しない。自分が話すときには小さな子供が話すようなシンプルな単語のみしか使うことができず、そんな自分に不甲斐なさを感じることが多々あった。人の性格は行動、表情、会話に現れる。自分の話せることのみを話すように逃げることもできる。だがそれが続く限り、本当の自分を知ってもらうことはできず、信頼しあえる友達関係を築くことは難しい。日本にいた時の私の性格と今、クラスメイトたちの思い描く私の性格は全く異なるものだろう。言語は人の性格をも変え得るほどに私たちのコミュニケーションの中核を担っているのだ。本当の意味で自分を表現し、相手を理解するためには一定以上の英語能力が必須だと痛感した。

留学から4ヶ月が経とうとしていた頃、自分の殻に閉じこもるばかりの何の成長も、学びも生まれない状況への危機感が強くなり始めた。その頃にはクラスメイトたちとの日常会話に参加することをあまり苦に感じないようにはなっていたが、自分の意見をはっきりと伝えることの能力にはまだまだ課題が多かった。学校では授業中に意見を求められることが多く、発言や質問をしないと何も考えていないように思われてしまう。考えを伝えられないもどかしさや悔しさを感じることも多かった。自分の殻を破るため、そして日常会話以上の会話を可能にするため、このタームは様々な課外活動に挑戦することにした。Economics society、模擬国連、Bath で開かれたインターナショナルスチューデント向けのスピーチコンテストなどだ。模擬国連では初め、100人を超える生徒が集まる委員会に気後れした。だが発言しないのでは参加した意味がない、と気持ちを奮い立たせ、resolution提案メンバーとなりプレゼンテーションを行ったり、なるべくたくさんのメンバーと意見交換をするように努めた。模擬国連の会場がオックスフォード大学だったことも自分にとって良い刺激となった。スピーチコンテストでは日本とイギリスの文化の違いについて自分が渡英後に感じたことについてスピーチし、優勝することができた。これらは、前進を感じられなかった自分のスピーキング能力が少しずつではあるが確かに前に進んでいるのだと実感できた良い経験だった。英語を話すことへの気後れがなくなるうちに、授業中に発言することも苦にならなくなってきた。以前までは質問に対し単語で答えるだけで精一杯だったが、最近は自分から質問や発言を積極的に行うように心がけている。

自分の英語力に成長が見られてきたとはいえ、まだまだネイティブスピーカーのように話せるわけではない。これからも模擬国連や授業内の発言のチャンスを逃さず、積極的に英語を使っていきたい。

二つ目の壁、文化の壁については渡英前、あまり深く考えてはいなかった。様々な考え方を知るのは楽しく、興味深い。難しさを感じる可能性をあまり考えていなかった。実際、イギリス人はもちろん、様々な国出身の生徒が集まる学校では互いの国について話す機会も多く、十人十色の考え方はどれも興味深かった。寮で行われた自国の政治についてのディスカッションでは、香港出身のクラスメイトたちの複雑な思い、スペイン人のカタルーニャ独立についての熱意を知った。様々なバックグラウンドを持つ生徒が集まるとはどういうものかを知り、大きな刺激を受けた。
だがその一方で、共同生活をする上ではストレスを感じることも多かった。日本では相手に不快な思いをさせないように生活することが普通で、何も言わなくても空気を「察する」文化があった。だがイギリスでは自分が思っていることをはっきりと口に出す必要がある。入学当初、私が勉強をしている時にルームメイトが部屋でスピーカを使い大音量で音楽を流していることが多々あった。初めは彼女の行動を理解できず、ストレスを溜めてしまったが、自分が「やめてほしい」と言わなければ伝わらないのだとわかった。日本とは違い、自分の意見をきちんと伝えることが前提の文化の中、「察してもらう」ことを相手に期待するのは間違っているのだと気付かされた。言葉で「やめてほしい」となんども伝えることには勇気がいるが、どちらかが強いストレスを抱えた上では生活は成り立たない。文化の違いをあり得ないものとして拒絶してしまうことは容易い。だが、拒絶からは何も生まれない。文化の壁を、超えられないものとして諦めるのではなく、自分たちがそれぞれ異なる価値観を持っていることを理解した上で相手を受け入れ、自分の望みを理解してもらわなければならない。いつまでも日本の「常識」にとらわれていては視野を広げることはできない。日本人としての自分のアイデンティティーは大切にしつつ、いろいろなことを受け入れ、自分のことも理解してもらえるように努める、それが文字通り「多文化共生」の第一歩なのだ。

「文化の壁」や「言語の壁」という言葉はあまりによく使われてしまっているが、実際に生活してみるとそれらは私が日本で想像していたような生易しいものではなかった。どちらにしても、自分の意見を正直に伝え、時には強く押し通す根気を持つことが必要不可欠だ。6ヶ月がたち、生活にも慣れてきたため以前のような苦しさやもどかしさを感じることも少なくなってきた。自分の意見を常に求められることへの抵抗感も薄れてきた。一歩ずつ一歩ずつ確実に前進していることを心に留めながら、残り一年半のboarding school 生活ではより大きなものを得られるよう、初心を忘れずに努めていきたい。