お知らせ

Oさん(男生徒)都立桜修館中等教育学校出身

8月の末に渡英をして、はや4ヶ月が経過しました。今回のレポートでは、出発前レポートでも書いたとおり、この4ヶ月間をどのような思いで過ごしていたのか、ということとその間に考えたことを記述して行こうと思います。

まず、この秋タームの生活ですが率直にいうとうまくいかなかったことが多かったと感じています。それは思うように人と会話ができないということが自分の想定以上にストレスで消極的になってしまったからです。自分が何かを伝えたいだけの場合には相手にわかってもらえるまでなんとか伝えればいいのですが、相手が言ったことが理解できないと相手にストレスを負わせてしまったり、相手の冗談を受け取れず気まずい会話になってしまったりしてしまいます。しかし皮肉なことにこれらを改善する最も有効な方法はできるだけ多く会話の機会を持ち、会話に慣れることなのです。来タームでは会話のスキルを向上させるためにも、できるだけ会話の機会を積極的に持って行こうと思います。

ここからはイギリスでの生活中に考えたことを書いて行こうと思います。
1英語について
ここでは、留学したことによって英語に対して思ったことをいくつか書こうとおもいます。
まず、英語学習者として思ったこととして、他言語を学ぶ時には経験や感情と結びつけながら学んでいくことが一番良いということを改めて実感しました。その理由の一つとしてはシンプルに感情や経験と結びつけて覚えたものというのは忘れない上に「使える」からです。当たり前のことですが、英語に限らず、言語の中の単語やフレーズというのはそれぞれに固有のニュアンスがあります。ゆえにその言語を使う際にはそのニュアンスに注意しながら自分の伝えたいことに一番添うような印象を与えられる単語やフレーズを選んでいくというのが普通ですが、第二言語として何かの言語を学んでいく際にはここに対する意識が希薄であるように感じます。というのもニュアンスを理解するのは単に意味を覚えることよりもよっぽど時間がかかるからです。ネイティブスピーカーがニュアンスに基づいて言葉選びをしている際、頼りにしているのは主に経験則です。そしてこの経験則を構成しているのはそれまでの莫大な量の言語活動であると思います。その中でも理論的にではなく実体験として学んだものが重要だと私は考えています。それは経験の中ではその単語やフレーズがこういう感情や評価と結びつきやすい、ということ直接的に学ぶことができるからです。ただ単語と日本語との対応を覚えて いくだけではなく、その単語が実際に使われている状況を知ることができる、というのが留学で英語を学ぶことの大きな意味の一つであると実感しました。
このように学ぶ対象としての英語に関する理解を深めていくと同時に、英語はただのツールであるという認識も強くなりました。日本にいて英語を話したり使ったりする目的というのはそのほとんどが「英語を学ぶこと」にあります。しかし留学をしてからの英語を使う目的というのは、英語を学ぶこと自体ではなく何かを説明するためであったり、人と仲良くなるためであったりと英語を道具として使うことが多いです。前者のやり方は、実際に英語を使っていくことへの抵抗感につながりやすいです。日本に行ったことのある学校の友達に「日本人は英語に詳しいけどあまり英語で喋らないよね」と言われました。もちろんこれは彼の短い日本経験の中から生じた偏見ではあるのですが、少し納得した部分もありました。学ぶことそれ自体に慣れていて実際に運用することには抵抗を覚える、この問題も留学によって解消された私の英語学習の問題点だと実感しました。
2イギリスの個性教育について イギリスと日本の学校の違いの一つに、生徒一人一人に対する個別意識の強さがあると思います。わかりやすいところではAレベルやIBの科目選択制と言ったものが挙げられますが、それ以外にも日常生活のレベルで個々の強みを伸ばそうと言った動きがイギリスでは日本よりも多いと感じています。その一つの例が、他人を褒める機会の多さです。例えば私の寮では、毎朝毎晩のように寮長にあたる先生が「この人がこんなことで賞を取ったんだ!」などと名前を挙げて生徒を称え、それに周囲の人が拍手をする、といったことが起きています。日本の学校生活でこのようなことは少ないように感じます。褒めるとしても集団、例えば〇〇部、や○年○組として褒めるということの方が多いように感じます。このような個人個人を褒めるハードルの低さが、褒められる経験の多さにつながっています。褒められるというのはわかりやすい成功の合図で成功体験というのは圧倒的な自信に繋がります。この自信の育成こそがイギリスの個性教育の根源にあるのだと思います。褒められた経験があれば「もっとやろう」という気持ちにもなるし、圧倒的な自信があれば外向きな思考になり、新しいことに手を出すハードルが低くなります。この好循環が生徒自身は意識せずともイギリスの個性教育が先進的である理由なのだと思います。
さらにこれを助長しているのが自由時間の多さにあるとも感じています。特にAレベルを3教科選択している生徒は1日の授業数が極端に少なく、空いたコマを自分のやりたいことに使うことができます。自由時間というのは「チャンス」です。当然、与えられた自由な時間のほとんどをゲームや遊びに費やしている人も多くいます。しかし一方で、その時間で音楽を極めている人や、自分の好きな科目を極めている人もたくさんいるわけです。これはつまり、やる気と自信を得た生徒たちがそれらを発散する時間が十分にあるということです。このやる人とやらない人との差の大きさを良しとするか悪しとするかはここでは論じませんが、自分の得意を伸ばすことや新しいことにトライするチャンスが日本の高校生よりも多いというのは間違いないと思います。日本の高校生活は忙しいです。それは科目数の多さだけではなく、宿題、行事の準備、部活、塾などといった「やるべきこと」の多さが示しています。ここから見て取れるのは、イギリスの高校生は「何をするか」が重視されるのに対して、日本の高校生は何をするかは決まっていてその中で「どうするか」の部分で他者との違いが生まれていくということです。ゆえに専門性が高まりやすく各々の個性が目立ちやすいということなのだと思います。こういったイギリスの教育システムの中のメリットをうまく活かしながら自分の強みと一意性を模索していきたいと思います。