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Yさん(女生徒)国立東京学芸大学附属高等学校出身

あっという間に秋も過ぎ、悪名高いイギリスの冬を体感せざるを得なくなってきました。今のところ、恐れていたほどの心身への影響はないです。渡英から4ヶ月経ったとは考えられないほど時が過ぎるのはあっという間で、日本を恋しく思いつつも、段々と英国での生活に慣れてきています。

今回の奨学生レポートでは、学校生活について、そして自分に起きた変化について書いていきたいと思います。

A-levelで私は美術史、歴史、哲学、数学を取りました。このうち美術史、歴史、哲学の3教科はエッセイ科目といわれており、ライティングが弱点の私にとっては大変な選択でしたが、どの教科も興味深く、楽しんで授業を受けています。エッセイを書くのも、学期の最初の方は自分でもダメだと感じることが多かったところから、だんだんと先生にも「今回はよく書けてるよ」や「ポイントは完璧だから、もっと効果的な構造を学んでいこう」など嬉しいコメントをもらえるようになってきました。歴史を筆頭にまだ手探りのところも多々ありますが、ずっと好きだったことを人から教えてもらえる幸せを噛み締めています。

美術史では現在通史をしており、今学期までで約3万年前の石像からバロック美術までを総浚いしました。YouTubeやBBCの動画を使ったレクチャー形式の授業で、授業内では何万年もの歴史を駆け抜けていること、「今は知識を積み重ねる時期」ということもあってか基本的な人物、出来事、全ての基礎となるコンセプトを抑えるのみです。稀に、先生の興味のある学説を紹介していただけたり、生徒が疑問に思った点についての討論があったりします。なので、しっかりとした基礎知識を身につけるためには、自分でその時代について授業外で掘り下げることが必須です。今学期は手軽さに流されネットで調べたり、動画を見たりするばかりであまり読書に時間を割けなかったので、今後は読書を習慣化したいです。11月にはアーティストのJenny Savilleさんが講演に来てくださり、過去だけにとらわれず、現代アーティストの頭の中を覗ける貴重な体験をすることができました。

また、当初美術を取る予定でしたが、時間割の関係上、美術&美術史&歴史を同時に取ることができなかったため、代わりに哲学を取っています。高校でいう倫理(功利主義や徳倫理について)を学ぶパートとepistemologyという存在論や認識論を学ぶパートに分かれており、既習範囲の多い前者に対して、後者は初めて扱う概念や、特殊な用法で使われる単語が多く、自分の意見をまとめることに苦労しています。が、小学校の担任の先生の影響で哲学風思考はその当時から大好きだったので、心の底から授業が愉しいです。

歴史はエッセイを通して分析をすることが求められ、暗記がメインの日本の歴史に慣れていた私にとっては、論理的に文を展開していくことが難しく、一番苦戦している科目です。しかし、同じクラスに頼れる友達ができ、一緒に電話を繋いでエッセイを書いたり、プレゼンテーションの原稿を添削してもらったりすることを通じて、段々と授業にも自信を持って参加できるようになりました。まだまだ授業貢献度は課題ですが、来term以降はより一層頑張りたいです。

数学は、あまり特筆するところがないというのが正直な感想です。日本での既習事項とかぶっていたり、難易度がそう高くなかったり、今のところ問題は抱えていませんが、油断せずこのままの調子を保っていけるよう精進いたします。

交友関係の面では、優しく接してくれる友人に恵まれた一方、「もっとこう話せたらな」と日常のふとした場面で感じることも多く、まだまだ英語力が足りないことを実感させられました。そんな中でも、毎日夕ご飯に誘ってくれたり、週末一緒にNetflixを観たり、会話に入っていけない時も隣にいてくれたり、とても良くしてくれるクラス/寮の友達ができ、嬉しさと安堵を覚えています。英語が不自由な私にも平等に接してくれるCHのみんなには感謝しかありません。そして、こうした友人の存在がさらなる英語学習へのモチベーションへと繋がっています。

芸術関係の面では9月からオルガンを始めました。ピアノと似たようなものだろうと最初は高を括っていたのですが、タッチの仕方から演奏の複雑さなど何から何まで違っていて、初歩の初歩から躓くことばかりでした。足鍵盤の運足の仕方やレバーの切り替え作業など未経験の要素も多かったのですが、オルガンの音色に惚れ、練習に練習を重ねたこともあって、学期末のランチタイムコンサートに出演させていただけました。また科目として美術を取ることはできなかったのですが、週1回activeとしてアートを取っています。今学期は水彩画とアクリル画に取り組み、自分の満足いく作品が仕上げられてよかったです。

…と出来事日記はこれくらいとして、ここからは私の留学の大テーマであるMobilis in mobiliに関連して、渡英してから自分にかかった変化について考えていきたいと思います。このレポートを書きながら考えをまとめている上に自分の中で起きた変化を題材にしているため、自分語りがほとんどになってしまいますが、ご容赦ください。

何かと慌しかったこの4ヶ月間、「自分への理解を深めること」が私の隠れ目標の一つとなっていました。イギリスへ渡ってから1ヶ月ほど、自分でも驚くほど感受性が敏感になっていて、小さいこと(芝生の朝露が綺麗だったとか)でも心が洗われたり、逆にやけになってしまったり、些細なことに自分の感情をこれまでにない振れ幅で支配される不思議な状態でした。…文章にすると危うげな感じがしますが、精神的に不安定だったわけでも、恋に落ちていたわけでもなく、例えるなら視力0.01の人がいきなり2.0に上がったような感覚、自分と周囲の解像度が急激に上がり、理由も分からず混乱したまま毎日が飛び去っていくような感覚です。この状況が自分でも面白くて楽しくて、でもストレスから食に走るのはいただけなかったので、早期の原因究明と対処法の発見を目指しました。それが、私の2022年下1/3期隠れテーマ「自己理解を深める」に繋がっていきます。

原因としてまず最初に思い当たったのは急激な環境の変化です。「当たり前じゃん」と思われる方も多いかもしれません。が、渡英前に想像していたよりも変化はだいぶ急激でした。完全な切り替えといっても過言ではないと思います。実は渡英してから1ヶ月間ほど、元々仲の良かった友達や家族との連絡が極端に少なくなり(自発的に、というよりなぜか自然と)、イギリスに染まる生活を送っていました。友達2-3人?と多少の連絡はすれど電話なんてもってのほか、家族とも週1回Facetimeを繋げるぐらいでした。純粋にイギリスでの生活を楽しみすぎていたのかもしれません。学校が始まるとどんどんと増えていくやりたいことリストのせいで(緊張感も相まってか)ページをめくって、まっさらになって、ちょっとだけ増えた文房具も試しながら、新しくまた書き始めていったような開放感でした。間もなく秋になったことも大きかったです。昔から空想しがちな本の虫だった私にとって、思う存分感傷に浸れる秋は最高の季節で、今でも秋はいい意味でテンションが下がる、落ち着かないけど落ち着く時期です。冬は寒くて陰鬱なわりに温かみがありすぎるし、春は思い悩むには全てが明るすぎるし、夏は頭も空っぽにしたいし、何となく、滾滾と考えを拗らせるのが楽しいのは秋だと自分の中で相場は決まっていました。この二つが土壌となって、自分と周囲との関係がこれまでよりくっきりと、ピンと糸を張ったようになったのでしょう。

そして恐らく、これに拍車をかけたのが自分に使える時間と自由の増加です。以前は何となく、親の目や友達の存在が、私自身に自然とブレーキをかけていた面がありました。しかし、多くの大切な人たちとの距離が物理的に離れたこともあってかアクセルだけがかかっていき、自分の中、そして外について、率直にそのままを考えるようになっていったような気がしています。散歩好きなホストファミリーの家にステイさせていただいていることも幸運の一つです。毎日2時間、ただ考えを巡らせる時間が確保される環境は何にも変え難く、自分の中だけでいっぱいいっぱいになったら、隣にいるホストマザーにポロッと溢してしまえる、そしてそれからまた溢れるまで考え続けれる、孤独でなくとも夢想に浸れる時間があることで、どんどん自分の考えを、感情を、感覚を、より鮮明に認識できるようになりました。

ここまで原因が分かって、また考えて、それから辿り着いた結論はこの問題において「原因が分かること=対処法」だったということです。状況を整理して気がついたのですが、かかっていたストレスの大半は「かつてない振れ幅に振り回される自分とそれを俯瞰して訳が分からず混乱している自分」の差から生まれるものでした。困惑の中で生まれるストレスを解消しなければならないものだと思い込んで、そのために自分の甘やかしを肯定して、甘やかした結果を恨んで、それが本当にストレスとなる悪循環。改めて考えを整理すると、気づけていなかっただけでストレスだと思っていたことが嬉しい“変化”だったことが分かり、ようやく負の連鎖を断ち切れた爽快感と達成感があります。考えることの幸せを再発見できて(「本当の自分」とは括れないまでも)自分に素直になることを受け入れられつつあるのは嬉しい留学の副作用です。もっと幼い頃は自然にこんな感じで世界を見れていたのかなぁと楽しく妄想しつつ、上がった解像度に処理が追いつくようになったところで、増えた体重を早急に戻していきたいと思います。