お知らせ

Bさん(男生徒)国立筑波大学附属駒場高等学校出身

瞬く間に2年間が過ぎてゆきました。いつの間にか試験も卒業旅行も帰国も終わり、早くも大学へ行く準備を始めていることに驚きを隠せません。Fettesでの生活は後から振り返ってみると非常に充実していて、学業・交友関係・先生たちとの関わり・ホストファミリーとすべての面においてこれ以上は望めまいと思うほどでした。これほどいい高校生活が送れたことには本当に感謝しかないです。
このレポートでは、前半部分で(ずっと書きたかったが先延ばしにしていた)スコットランドというトピックで少し語り、後半では外側から日本を見てきて自分が感じたこと、考えたことを「日本らしさとは何か?」「日本を変えるべきか?」というテーマで述べていきたいと思います。過去のレポートのご多分に漏れず、むしろそれを上回るほどのヘビーな分量になっているので今回は見出しをつけることにしました。ご参考までにどうぞ。

1. スコットランドについて
「対イングランド」という形を通してのスコットランドの国民意識の形成/バグパイプについて/一芸を身につけることの利点/Scotland Forever
2. 日本を変えるべきか?
日本といって思い浮かべるもの/日本はあまりにも日本らしすぎる/鎖国以来の歴史の中で築かれた保守性/日本は特別? ー 保守性の保守性/保守性が外部からのステレオタイプにつながる理由/「日本から逃げたい」から「日本を変えたい」へ/ポジティブな変化なのか、アイデンティティの喪失なのか/外見の変化と内面の変化/まとめ/追記

なお(今までもずっとそうですが)、ここで書かれている一切のことは僕個人の見解なのでそれが優れている訳でも正しい訳でもありません。「ここは違うんじゃないか」「もっと他の見方もできないか」と読む方が考えを深めるきっかけになればそこに十分意味があるので、この内容を鵜呑みにせず色々自分で考察しながら読んでくだされば幸いです。

1. スコットランドについて

僕のパブリックスクール生活においての最大の幸運は、スコットランドに来ることができたということでした。僕が2年間を過ごしたFettes Collegeは、一般的に日本人が「イギリス」と聞いて想像するイングランドではなくブリテン島の北部1/3を占めるスコットランドに位置します。Fettesに送られることが決まった当時はスコットランドについてほとんど何も知らなかったこともあって正直戸惑いましたが、折角行くのだからと思い渡英前の数カ月の間に文献やネットを使って色々調べました。スコットランドというのは知れば知るほど面白い国で、イングランドとは全く違う自然環境や歴史・文化、そしてその(「イギリス」という括りでは見落とされがちな)独自のアイデンティティに対する強烈な誇りを感じられて調べ始めてからいくらも経たないうちにすっかりこの国の虜になってしまいました。 その中でも一番影響が大きかったのは "Braveheart" という13-14世紀のスコットランドとイングランドの抗争を描いた映画を観たことです。歴史的に正しい描写がなされているかは別として、この映画はイングランドに対するアンチテーゼ的なスコットランドという国民意識の形成を良く描けていると思います。大陸に近いイングランドが11世紀以降人口と経済力を伸ばし封建制度の基盤をしっかりと立てていた一方で、スコットランドは国力という点ではまだ未熟でとてもイングランドと張り合えるような力はありませんでした。そんなスコットランドが国としてまとまることができたのは、土台となる民族性の上にイングランドの侵攻という脅威があったからこそです。イングランドという隣人なしには今ある姿のようなスコットランドは存在し得なかったでしょう。この映画からそういった複雑な二国の関係を学ぶことができたと同時に、スコットランド側の視点で作られていたためずっとそちらに肩入れして観ており終わるころにはすっかり青と白に染められてしまいました。中世の戦争映画なので少々残虐な場面もありますが、この国を知る第一歩として非常におすすめです。

そんな訳でエディンバラに到着した頃には既に立派な愛国者となっていましたが、僕にとっての重要な転機はさらにスコットランド文化に触れたいと思い立ちバグパイプの授業を取ることに決めたことでした。
バグパイプ(bagpipes)とはこの国の民族楽器ですが、スコットランド人にとってのバグパイプはそこらの民族楽器(尺八やら琴やら)と比較にならないほどの意味を持っています。上述のようにスコットランドは歴史的に「対イングランド」を意識して強力な自国のアイデンティティを形成してきましたがその一端を担ったのがバグパイプで、彼らにとって ー "我々"にとってと言った方がいいでしょうか ー その音は故郷そのもの、他に並ぶもののない誇りを奮い立たせる音楽なのです。バグパイプを習い始めた時は単にスコットランドらしいものに触れたいという思いでしたが数カ月、1年と生活していく内にバグパイプがスコットランド人の心に占める大きさに気付きました。バグパイプは非常に大きな音が出るのですがスコットランド人でこの音を聞いて顔をしかめる人はまずいないし、「バグパイプをやっている」と話すだけでみんなそれはそれは嬉しそうな顔をするのです。そんな楽器を手に取れる喜びとこの国の一員となれたような感情が湧いてきてどんどん練習した結果、2年目の始めには個人レッスンからバンド(楽団)に参加させてもらうまでになりました。またこの熱烈な思いが通じたのか、そこそこ吹けるようにはなったけども値も張るし、多分しばらくはバグパイプから離れるかな…と思っていた卒業直前になってなんと学校からバグパイプをプレゼントして頂けるという幸運にも預かり、本当に驚きであると同時に言い尽くせないほど嬉しかったです(陳腐な言い方ですみません)。これにて晴れて大学以降でもこの素晴らしい音楽を続けられることになりました。
バグパイプをやっていて良かったと思うのは、もちろんスコットランドをより深く感じられることもそうですが、自信を持って人に語れる一芸を身につけたことです。楽器もスポーツも小さい頃から一切やっていなかった僕にとってこれは全く新しい経験でした。8月にあった財団の報告会でも少し披露させて頂きましたが、お陰様でたくさんの方々に声をかけてもらったり覚えてもらったりして「特技を持つ」ということの大事さを痛感するようになりました。
大学ではイングランドに行くことになりましたが、Fettesでの生活、ホストファミリーをはじめとしたたくさんの素敵な方々との出会い、そしてバグパイプ…と濃密な経験をすることができたスコットランドでの2年間は忘れられません。冒頭でスコットランドに来れたことを「幸運」と書きましたが、もしイングランドにある他のパブリックスクールに行っていたらと考えるとぞっとします(決して他が悪い訳ではありません。僕がスコットランドを好きすぎるだけです)。財団の皆様、その節は本当に本当にありがとうございました。僕のスコットランドとの繋がりはこの先も一生切れることはないでしょう。

2. 日本を変えるべきか?

2年間のイギリスでの生活を終えて日本に帰ってきて感じたことは、つくづく日本はユニークな国だということです。
日本ってどんな国?と聞かれて、みなさんはどのように答えるでしょうか。あるいは海外の人に日本の印象を聞いた時、どのような答えが返ってくるでしょうか。食材・料理の質とバラエティは世界随一で、ポップカルチャーの聖地。国民のほとんどが日本人で日本語のみを解し、国民のモラルの高さと犯罪率の低さは特筆もの、勤勉さや礼儀正しさが売りの一方で時には集団意識や排外意識が顔を出す。途上国並みに物価と名目賃金が低く、政治力と経済力は人口と共にここ30年停滞気味だが未だに「先進国」の地位を保ち続けている、そんな国。人によって様々ですが、誰もがすぐ口にするのはこんなところだと思います。
イギリスで生活して日本を外側から見る機会が増えましたが、僕はいわゆる「日本らしさ」というものを考える度に ー 上のようなリストを思い浮かべる度に ー 強力な違和感に襲われていました。目を引く要素は多いけれども同時にそこにあるべき重要な何かが欠落しているような、そんな感覚。歯痒い表現になってしまいますがこの感覚を共有できる方はいるでしょうか。 伝わらないことを前提で言葉に落とし込んでみると、「日本はあまりにも日本らしすぎる」のです。"日本" といえば "寿司・アニメ・漫画・真面目で丁寧な人々" だし逆に "寿司・アニメ・漫画・真面目で丁寧な人々” という特徴が与えられれば100%それは "日本" という答えにたどり着きます。そんなこと当たり前じゃないか、文化ってそういうものでしょ、という声も聞こえてきそうですが、(地理的にも文化的にもローカルに根差している食という観点を除けば)世界中見てもこれほどの規模でこれほど絶対的に固有な特徴というのはそう多くありません。例をあげると、ドイツ特有の文化って何?オーストラリア人の性格といえば?と矢継ぎ早に質問されて詰まる人は多いでしょうが、これが日本の話になると ー 日本に行ったことがない人でさえ ー すぐに上のどれかが出てくる訳です。国語的に言えば唯一無二、数学的に言えば必要十分条件ということになるのでしょうが、この「日本らしさ」が「日本」という概念と同じだけの価値/認知を持ってしまっているところに僕は違和感を覚えているのだと思います。言い換えれば、文化というのはあくまで国家的アイデンティティを形作る一要素でしかないはずなのに日本においては逆に文化が国を飲み込んでしまっている感じがするのです。

何故そのような現象が起こっているのか。今まで漠然と存在していた感覚をある程度言語化できるようになったことで、この背景にあるのは異様なまでに強力な保守性なのではないかという考えに至りました。
歴史的に見ても日本は外の世界との関わりが少ない国です。近世までの外交といえばほぼ中韓だけ(それも主に貿易が中心)で、大航海時代になり西洋人がやってくるや否や鎖国体制に入りました。一番大きな要因はもちろん島国という地理的特徴ですが、同じ島国であるイギリスと比べても1000年の間でローマ人、ヴァイキング、ノルマン人に次々と侵略され王朝も民族も入れ乱れていたかの国とは一線を画します。国家をひっくり返すような侵略者が周りにいなかった、或いはいたとしても(元寇のように)撃退されたという点が日本の独立性に大きく影響しているのでしょう。結局日本は開国の道を選び、以後は列強国、枢軸国、そして先進国として世界史に大きく影響を与える存在となりました。しかし、ある意味で日本の転機となったこの1854年の出来事でさえも真の意味での「開国」ではなかったと思います。鎖国を解いたのは民衆がそれを望んだからでも政府がその利益を見越して自ら選択したからでもなく、アメリカの軍事力という外圧が存在したからです。開国したのではなくさせられた、結果だけみると同じ事ですがこの違いが文化面に及ぼすインパクトは計り知れません。つまり形式的に海の向こうから来る人々と交わるようになった後でさえ多くの日本人にとって彼らはあくまで「外国人」であってどう足掻いても「同胞」となりうる存在ではなかったということです。以前、日本で長く働いているBBCのイギリス人記者がある過疎村を取材した時の話を目にしたことがあります。彼が村のお年寄りたちに「ここは美しい場所です。ここで暮らしたいと思う人も多いでしょう。もし私が家族を連れてここへ引っ越して来るとしたらどう思いますか?」と聞くと、彼らは居心地悪そうに目を見合わせ「そのためには我々の生き方を学ばなければいけない。簡単ではないでしょう」と返したそうです。これは考えてみると中々衝撃的で、彼らは村の存亡の危機に立っている時でさえよそ者を受け入れることに抵抗感を示し、同化を歓迎するよりむしろ妥協なき衰退を選ぶのです。それほどまでに日本人にとって「変化」とは忌まわしき概念であり、強制的に外部へ開かせられたという歴史的経験があるからこそその思想が強く根付いているのだと思います。戦後第二の開国を迎え、技術発展の恩恵もあって世界との繋がりが急激に増した現代ですら日本人の対外ポリシーの根幹を成しているのはその保守性である気がしてなりません。日本人はこの270年間、黒船の影がもたらす侵略への恐怖に怯える港の人だかりであり続けているのです。
また、保守性に繋がっているもう一つの要素は日本は特別な国であるという意識だと思います。大なり小なり、我々日本人は学校教育やそこかしこに隠れるサブリミナル的な植え付けによって日本は同じような伝統や文化を千年以上も保ってきた、礼儀や思いやりなどの美徳を持った国民だ、世界にも珍しい単一民族国家だといった言説を刷り込まれています。例えば今の日本で中大規模の移民の受け入れに反対する人は多いと思いますが、明け透けに言えば血が混ざってしまうという理由が大半でしょう。治安が悪化するという意見も日本人は治安を守るが外国人はそうとは限らない、という前提があります(これに関しては若干真実と言える気もしますが)。こういった今の日本は日本人が自分たちの力だけで築いてきた、日本人らしさは日本人にしか分からない、というある意味での日本人優位的な思想が存在しているのは否めません。これらの意見そのものについての議論は保留するとして、こうした考え方は間違いなく保守性の形成に影響を及ぼしているでしょう。何故なら、一度破られた保守は二度と取り戻されることはないからです。物理学ではエントロピー(乱雑さ)という概念がありますが、これは常に一方通行なので決して高い方から低い方へ移行することはありません。一度散らかった部屋は人間が片づけない限り永遠に元に戻らないのと同じことです。そのように、保守を辞めてしまうという行為は不可逆的であって一度崩されるともう前の状態に戻ることはできないのです(移民の例で言うと一度人種が混ざるとそこから純血日本人だけを抽出するのは不可能ということ)。これが保守性を守る、すなわち「保守性の保守性」ことの最大の理由だと思います。特別だからずっと守らなければならない、そのためには寸分の妥協も許されないということです。

このような文化的・精神的な鎖国が今日の「日本らしさ」、そしてそれにまつわる違和感(「日本らしさ」が巨大化しすぎているということ)につながるプロセスには二段階あると思います。
一つ目は、そもそも文化面でガラパゴス化したことによって独自の思想やジャンルが外部の影響を受けず開花したことです。アニメや漫画、邦楽といったポップカルチャーは日本ほど多様に、そして特徴的に発展していった事例もないでしょう(アニメも観ないし漫画も読まないやつが何を語ってんだ、というツッコミは置いておいて)。海外で似たようなものといって思い浮かぶのはベルギー発の漫画「タンタンの冒険」やディズニーが作っているアニメくらいですが、作画やら声優やらグッズまで拘って完成される日本の制作物と比べるとまた違った楽しみ方に主眼を置いた全く異なる文化であると言うしかありません。
そして二つ目が(こちらの方が重要なファクターですが)、日本人が外部との交流を避けたことによって、日本というコミュニティの外に属する人から見た時に「日本とは何か」を知るすべが表面的な手段しか残っていなかったということです。本来ならば日本らしさ、日本の感覚というのは日本人が外部の人間と直接関わることで伝えるべきだったでしょう。しかし日本人に残る内的志向/外部の人間に心を開ききれないという性格のせいで、海外の人にとっては日本を知る手段が非常に限定されてしまったのです[※1]。すなわち他の国、例えばヨーロッパの国同士などであれば歴史的に長い付き合いがある上に互いにコミュニケーションをとることによって相手がどんな国でどういう人が多いのか、というイメージが築かれていきます。日本人はよく欧米の人たちがどこの国の出身か見分けるのに苦労しますが、彼らはお互いちょっと話すと何となく「~人っぽい」という感触が得られるようです(合ってるかは別として、そのようにある程度感覚やイメージに頼っているということ)。しかし歴史的関わりが薄い上にその国の人たちと直接込み入った話ができないとなると、その国を知りたいと思うならばその文化を消費するしか方法がありません。その結果が日本=日本食・アニメ(以下略)というステレオタイプの定着であり、「日本らしさ」がその枠を超えられていないという実態なのではないでしょうか。

それでは日本が保守性、ひいてはそれがもたらす一面的な人気から脱却するためにはどうすればいいのでしょう。
いや、そもそも、現状から脱却なんてする必要があるのでしょうか。

以前にも書きましたが、僕は昔から主に公立小中学校での経験を通して日本の社会としての在り方に疑問を持っていました。"年上を敬う文化"という皮を被った年功序列、実より名を取る傾向や形式主義、協調性という名の同調圧力、そしてそれらを包含する意固地なまでの保守性…[※2]。僕が海外へ行きたいと思うようになったきっかけ自体はその息苦しさから解放されたいと思う一心でしたが、少しずつ時が経つにつれて単純に「逃げたい」ではなく「変えたい」へと思いが変わっていきました。有り体な言い方をすれば気に入らないから変えたい、綺麗な言い方をすればこの国の現状を見た上で海外へ学べるという立場を活かしより優れたものを ー 少なくとも優れていると自分が信じているものを ー もたらすのがある種の使命(お馴染みのNoblesse Oblige)なのではないかということです。
しかし、現実問題として「どのように?」と考えた時そのハードルはとてつもなく高いということに気付き始めました。上述の仮説が正しいとすれば、今の日本を支配している保守性とは小さな集団や一世代に留まるものではなく、何百年も続く歴史の中で形成された民族性を支える堅固な基盤です。「10年かけて悪くなった視力は10年の間努力しないと戻らない」とは昔聞いた金言ですが、それと同じように300年かけて作られた保守性は300年くらいかけないと抜け落ちないように思えてなりません。人間の思考ベクトルや行動原理というのは学校教育のみに留まらず幼い頃からの家庭環境や地域環境にも大きく影響を受けて形成されます(むしろ後者の方が強い)。とすると、もしこのような日本人の気質を本気で変えようとするならば一世代のみならず二世代、三世代に渡る大プロジェクトとなるでしょう。
ここまで考えが至った時に、はたと「本当に日本を変えようと努力すべきなのだろうか?」という疑問が生まれました。いくら時代の流れと逆行していて、たとえそれを貫くことで実害を被ることが起きようとも、その思想は間違いなく日本が持つ強固なアイデンティティであり日本を日本たらしめているものの一つなのです。変化が必要とされる時と状況もありますが、この場合は変化をもたらすことと長年に渡って固められてきたアイデンティティを壊すことが同義となってしまいます。そしてこの変化が完了する頃には日本はもはや日本と呼べなくなるほど違う顔を見せるでしょう。過度な保守性や昔の考え方からの脱却と書くと良いもののように見えますが、それは日本としての特性の喪失と表裏一体なのです。そこまでして古い価値観は変えるべきものなのか?逆にこの日本らしさは変化を諦めてまで守る価値があるのか?以前なら即答できていたその問いに、今は明確に答えることができません。

ただ、一つの提言としてヨーロッパの国々を見習ってみるというのがあります。 変化には大きく分けて二種類あると思います ー 外側・見た目の変化と内面・性質の変化です。この2年イギリスやイタリアなんかを見てきて感じたのは、彼らは内面では目まぐるしく変わりつつも外見を保つことに非常に長けているということです。ここでは外見とは建造物、街並みに代表されるいわゆる「目に見える」ものを指します。初めて僕がイギリスを訪れた時特に感銘を受けたのがその街並みであったように、そこには歴史と伝統がそのまま詰め込まれています。だからこそ戦争、冷戦、ヨーロピアニズム、ポピュリズムと次々に政治的状況や思想が移り変わったとしても彼らは「決して揺れない何か」(それをイギリスらしさと呼ぶことができるのかもしれません)を持っていてそれをアイデンティティとすることが可能なのです。対照的に日本はスクラップ&ビルド、新しいデザインや技術を積極的に取り入れる割に内面ではずっと変わらない思想を抱いています。またアメリカではむしろ外も中も何もかもが常に変化を続けていて物事が一箇所に定まらないように見えます。これらの間で優劣をつける気は毛頭ありませんが、伝統的価値観からの脱却とアイデンティティの喪失の間で揺れている日本にとって(僕が勝手に揺らしてるだけかもしれませんが)形而上学的な思想や概念と文化の持つ形而下学的側面を互いに切り離し、その国らしさ・文化を表現する場を目に見える範囲に閉じ込めることができれば ー それはアイデンティティを保ちつつ新しい考えを取り入れる一助になるのではないでしょうか。もちろん文化を形として残すことが必ずしも精神的保守性の改善につながる訳ではなく、むしろそれは古い価値観への固執を補強することにもなりかねないです(例えば日本で木造風の家や和室を増やしたところでそのお陰でリベラルな思想が育つかと言われたら疑問が残ります)。しかしどこかに「日本らしさ」を残しているという事実が日本人の拠り所となれば、あるいは彼らが前に進むことを後押しすることも期待できるかもしれません。

今あるものの中で何をどこまで変えるべきか、あるいは逆に何を確固たる足台として持っておくべきか、それは個人単位でも国単位でも大きな問いです。高校から大学へ上がり、就職の二文字も脳裏をちらつくようになったこの転換期だからこそ自分としても何を一番大切にしたいのか、何を優先するべきか考える必要があるし、変化と保守のバランスを上手く取ることができればその先にあるのは芯と柔軟性を兼ね備えたよりよい人間/国家であると信じてやみません。そのプロセスにおいてこの2年で得た知見は間違いなく大事な価値基準になってくると思います。この先のどこかで、自分にとってもまた日本にとってもいい答えが見つかることを願っています。

参考

文中で触れたBBC記者の体験談
https://www.bbc.co.uk/news/world-asia-63830490 (英語版)
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64357046 (日本語版)

※1 これには多くの日本人が日本語しか話せないからという実利的側面もありますが、恐らく日本人が日本語しか話さないのも無意識のうちの排外主義(外と関わりたくない、関わらなくても別にいいという考え)なのではないかと思います。

※2 こうした空気の醸成は敗戦後の復興、産業化という国全体が同じ方向を向いて進んでいた時期においては有効だったのかもしれません。事実、日本はその効率性と規律の良さで高度経済成長期に大躍進を遂げ世界も驚く勢いで「先進国」の仲間入りを果たしました。しかしそういった目標が達成され、さてここからどうしようかと皆が新しい方向を探し始めた時になってそれまで上手くいっていたやり方や考え方が足枷となり始めます。上下関係の厳しさや形式主義といった風潮は特に若い世代が思うままに羽を伸ばせる機会を阻害し、スタートアップが盛んでゼロから大企業へ成長できるという例(Apple, Amazon etc.)が多々見受けられるアメリカなどと比べて今一つ「新しいことを始める」ということに対するノウハウが欠けている原因となっているように感じられます。つまり、こういった面においても日本はその保守性に捕らわれているのです。
とはいえ、ここで問題だったのは保守性そのものやその保守性を作り上げた大戦直後の世代ではありません。彼ら自身はそれで世界を生き抜き(一般の尺度で言うところの)成功を収めたのですから。責められるべきは「前の世代で上手くいっていた」という理由で同じメソッドを継続してしまったその次の世代にあると思います。それは言い換えるとこうすれば上手くいくというエネルギーや信念を伴った積極的な保守であり、これもまた保守性の保守性なのです。日本経済が最盛期を迎えた1990年代以降、次から次へと新しいものが出てくる世界の中でそのように昔からの手段を貫いてきた結果として今に至るまで日本は経済的に成長しているとは言い難い状況が続いています。
では、さらにその下の世代(ちょうど我々の世代)ではどうでしょうか。恐らく「成功者=上の世代」のやり方に固執するという傾向は変わってないと思います。そしてなお悪いことに、二世代下の我々が見ている成功者世代とは全盛期(働き盛りの時期)ではなくすでに斜陽に差し掛かりすっかり落ち着いてしまっている人々です。そんな彼らを見て影響を受けた世代はどう育つでしょうか。現状に満足しきり、不満や危機感を抱くことなく生きてしまうのではないでしょうか。最近の若者に将来特に何かをしたい訳でもない・何をすればいいのか分からないという人が多い理由、また近年日本のサブカルチャー産業がますます強くなっている理由というのはこの辺りにありそうです。つまりロールモデルが欠落してもなおエネルギーの無い保守、無気力な保守を続けてしまっているのです。
もし上の世代の真似をするという傾向がこの先も続くなら、間違いなく今後数世代のどこかで大失敗が起こるでしょう(それぞれが前の世代の劣化コピーみたいなものなので)。鎖国>明治維新>富国強兵>右極化>戦争>高度経済成長>失われた30年と浮けば沈み、沈めば浮くを繰り返してきた日本の今後は、「どの世代が保守性を断ち切れるか」にかかっていそうです。