お知らせ

Bさん(男生徒)国立筑波大学附属駒場高等学校出身

レポート執筆に全エネルギーを注いでいた1年前とは打って変わり、多忙に多忙を重ねるAutumn Termとなりました。今回は、今年度に入って以降のAcademicな面においての大雑把な流れと主なイベント、そしてイギリスでの大学受験を経験してのちょっとした感想を書きたいと思います。

1.今年度に入っての学校生活

9月に学校に戻り、まず取り掛からなければならなかったのはPersonal StatementをはじめとするUCASフォームの提出です。一般の大学だけに出願する人は1月まで余裕がありますが、Oxbridgeや医学部に行きたい人は10/15が締め切りです。そんなタイトなスケジュールなので、Personal Statementは前年度中には下書きを終わらせ、夏休み期間に自分でそれを推敲してから9月にもう一度先生にチェックしてもらうというやや慌ただしい流れの中で書きます。とはいえ僕の場合は、4月に学部変更したばかりなこともあり夏休みが始まった時点ではほぼゼロに近い完成度でした。そこから夏休み中のサマースクールや関連書籍の読み漁りを経て8月の最終週に一気に書き上げ、9月中旬に学校側のチェックを完了しました。受験全体のプロセスを通して言えることですが、一斉試験が行われる日本の大学受験とは違い、こちらでは選んだ科目や大学によってやるべきことや進捗状況が他人のそれと大きく異なってきます。なので自分のことに集中して周りを気にしないという姿勢は非常に大切です。僕自身、特に最近はoffer(大学からの条件付き合格 / 内定)をもらった人の話もちらほら聞こえてくる中で毎日空っぽな自分の受信ボックスがどうしても気になるところではありますが、大学のチョイスや応募者が多いという数学科の性質を考えれば全然心配することはないと自分に言い聞かせています。

大学への出願が一段落ついてからの約2カ月間は、数学のコンペティションに注力する時間でした。
まず、10/4に去年に引き続きMaths Challengeに参加しました。これは5択25問1時間の形式の、5th Form(高1相当)からUpper 6th(高3相当)まで誰でも参加できるオープンな試験です。右も左も分からず受験し満点を獲って調子に乗った去年とは違い、今年は問題のレベルや去年の自分自身との実力比を鑑みて「満点以外は失敗」と公言し勝手に自分でプレッシャーをかけまくっていました。もちろんそんな簡単にいくはずもなく、過去問で結構失敗したり本番では去年をはるかに上回る難易度の問題4,5問に出くわしたりしましたが、結果的に全部解いて再び満点を獲ることができたことは素直に嬉しかったです。単純な満点という字面以上に、去年なら解けていなかったであろう問題を解けたこと、そしてより負荷が大きい状況の中でも変わらず好パフォーマンスを発揮できたことの二点において前回よりも価値のある結果となりました。

その後ハーフタームを経て、11/2にはMAT(Maths Admission Test)という大学受験用の試験を受けました。MATは主にOxford受験者向けで、選択式と記述式が混ざった2時間半の試験です。僕はOxfordではなくCambridge志望だったものの他に出願する大学でMATが必要なところがあったので受験しました。対策としてひたすら過去問をこなし(2週間の休暇中に1日1年分×10日間くらい)、慣れてきたと思ったあたりで本番を迎えました。しかし不覚にも試験の早い段階で躓き、上手く考えをまとめられないまま完全に不完全燃焼で終わってしまいしばらく悔しい思いを引きずりました(特に、解けなかった2,3問の解法が試験直後の食事中に思い浮かんでしまった時には)。もっとできたはずだという思いはあるものの、何でもかんでも思い通りに行くものではない、これがCambridgeの試験ではなくて良かったという前向きな気持ちを持っていきたいです。
さて、休む暇もなく2週間後にはBritish Maths Olympiad、数学オリンピックの一次予選がやってきました。去年はここでDistinction(上位25%)止まりで、当時としては望外の成績だったものの今から振り返ればとりわけ素晴らしいというほどのものでもなかったので今年はそのさらに上、メダルを狙って勉強を始めました。オリンピックは前2つの試験とは毛色が異なり、完全記述式6問3時間半かつ思考力の比重が圧倒的に高い(求められる知識は体感では高1レベル)のでたった2週間で対策も何もないと言えばそれまでなのですが、取り敢えず過去問を7年分程度やって感覚を掴みました。本番では前半3問を特に問題なく解き終わり、期待が高まったところで後半3問に苦しみました。痛恨のミスは、丁寧にやれば簡単に解けそうな第4問を飛ばして見た目が面白そうだった第5問に時間をかけてしまったところです。過去問なら別にその解き方でいいのですが、本番ですべき選択ではありませんでした。結果はまだ出ていませんが、そんな訳で今年もメダルは厳しそうです
また、これら3つのコンペティションに加え、11月初めからはRitangle Competitionというオンラインの大会に参加していました。3ステージで構成されており、ステージ1の20問、ステージ2の8問、ステージ3のFinal Questionを早解き競争するという形式です。チーム戦ですが僕はマイペースに行きたいので1人でチーム登録し、余裕がある時に解き進めていました。答えがもの凄く汚い問題ばかりだったり、プログラミングを使って解くのが許されていたり(僕はそんな知識はないのですが)と、普段やっている問題とはまた違った楽しみがありました。最大のハイライトはステージ2を解き終わった後、ステージ3に進むために必要なパスコードが隠されているパズルを解いたことです。1日中考えても分からず、同じくFettesから参加している他のチームの数人と集まって2時間ほど試行錯誤していたところでふと解き方が閃いた時のあの高揚感は言い尽くせません。その後の数日はそのことを思い出しては一人で笑っている怖い人になっていました。

このような次第で楽しい楽しい数学ライフを送っていた訳ですが、今学期一番のメインイベントはCambridgeの面接入試でした。10月にUCASを送った後、面接に呼ばれるか否かを知らされたのが11月後半です。一般的にCambridgeはOxfordに比べて面接に呼ばれやすく、逆にOxfordは面接の招待の段階で絞ってその後は比較的多くの人にofferを出すという特徴があるようです。Cambridgeでは出願者の7割程度は面接に呼ばれるという話を聞いていたので、面接に呼ばれないという可能性についてはあまり心配していませんでした。
ですので前もって9月後半から学校の先生と面接の練習をしたり、自分で問題を調べて解いたりしていました。想定通り無事に面接の案内が届き(一週間前の告知でした)、12月の上旬に本番を迎えました。
一般に数学科の面接はひたすら数学の問題を聞かれ、それらに口頭で解答するという形式です。Oxfordの面接やCambridgeの他学部では志望動機などを聞くいわゆるGeneral Questionsも質問されたと聞いたので少し準備していましたが、僕の場合は始める前に「この面接では数学の問題だけ聞くよ」と宣言され、せっかく用意した答えを活かす間もなくメインのパートに移ってしまいました。出題される問題そのものはあまり難しくないものの、紙で解く試験とは違い面接官にその場で説明しながら解くという形式なので難易度が数段上がります。雄弁は銀、沈黙は金とはよく言いますが残念ながら面接の世界ではそんな道理も通用しないのでひたすら喋り続けなければなりません。もちろんそんな環境でミス無しで乗り切れる訳はないので、もし間違いがあれば面接官にその都度ヒントをもらって軌道修正しつつ答えにたどり着きます。公式サイトなんかにも書いてありますが、大学側が生徒を取る際に重視しているのはどれくらい"Teachable(教えやすい)"かという点なので、面接官のヒントにきちんと反応できるか否かは非常に重要です。実際に僕は習っていない範囲の問題が1つ出されましたが、その場で簡潔に概念と公式だけ教わって答えを出すことができました。これに関してはTeachableかどうかという観点から見た時にはとてもよくできたかなと手応えを感じました。結果が出るのは1月の末のこと、期待しすぎてはいないもののほどほどに楽しみにして待っています。

2.受験システムについて

日本の入試で一般的なのは、全員が同じ問題を同じ時間に解く一斉試験です。レベルが高い学校であればあるほど試験の内容を難しくすることによって「相応しい」学生を選抜します。一方イギリスでは、A Level / IB(バカロレアコース)の成績は足切り程度に使われるまででオファーをもらえるか否かはpersonal statementに大きく依存しますし、最高峰のレベルのOxbridge+医学部では(数学のように筆記試験も条件に含まれる場合もありますが)面接を行うことによって差別化を図ります。そもそもA Levelですら大事なのは点数そのものではなく、点数に応じて与えられるGrade(U, E, D, C, B, A, A*)であって、一定以上の点数を取っていれば85点だろうが100点だろうが関係なく「A*」という括りに入ります。1点を争い試験に命を懸ける日本の受験と長い時間をかけてエッセイを用意したり点数以外の要素で評価されるイギリスの受験、それぞれの功罪はなんでしょうか。
まず、日本での高校受験とイギリスでの大学受験の両方を経験して感じたのはイギリスの圧倒的な「緩さ」です。Oxbridgeなどを目指していない多くの人々にとって「受験」とは出願して、オファーを待って、そしてA Level試験に向けて準備するだけとなります。A Levelは最終的な合否を決する大事な試験ではありますが、内容自体は学校で習ったごく直球な問題に限定されている上に、履修範囲を全部終えてから数カ月以上復習したり対策したりする時間があります。なので本番半年前のこの時期でさえ緊張感はあまり漂っておらず、校内テストの時以外は皆特に勉強する気配もなく去年までとなんら変わらない生活を送っているように見えます。以前イギリスには塾という概念がほぼ無いと書きましたが、ここに来てその理由が見え始めました。この国で塾なんていうものは必要とされていないのです。 日本のような激しい競争が存在することの利点は、間違いなく全体の能力レベルが上がることです。まず前述の通り日本の学生とイギリスの学生では勉強している量が格段に違います。
また、A LevelやIBと比べて高校履修範囲の幅が広いこともあり、様々な分野の知識やテクニックを知っているという点で日本の右に出る国はほとんどないのではないかと思います。それに対して、大学以降の舞台で日本の学術分野が衰退気味にある(論文引用数、大学ランキング、研究者の待遇 etc.)ことを鑑みると、この初期段階での能力の高さというのが効果的に生かされてはいないとも言えます。他方、イギリス側の利点は大学前の学生生活を伸び伸び送れるという点です。日本では勉強のし過ぎや受験のプレッシャーから心身に支障が出るなんて話もまま聞きますが、今の学校では勉強のしなさすぎではないかと思ってしまうくらいゆとりがあるので受験による鬱やら体調不良やらとは無縁です。それにも関わらず少数の科目を比較的深く学ぶことによって大学以降に直接つながる勉強ができているのは効率的と評することができるでしょう。

この違いは一体何に起因しているのでしょうか。一つ考えられるのは、それぞれの社会における学歴の重要性の違いです。何年か前に就活関連企業が「学歴フィルター」を使っているなんていうことが話題になっていたように、日本では依然出身学校名を気にする / 重んじる傾向が強いです。幼稚園・小学校受験なる概念が存在し、東大や旧帝出身は賢くてできる人と持て囃される、そうした類の話は誰しも一度は耳にしたことがあるでしょう。もちろんケースバイケースではありますが、合格を神聖化して「いい学校に入ることができればその後の人生薔薇色、受験で失敗すればお先真っ暗」という教える側(教師や塾など)による意識付けがあるのは否めません。それは受験生に本気を出させるためには効果のある手法ですが、問題なのはその価値観が大人になってからも根付いていること、学歴の評価がそのまま能力・人格の評価に直結しその後の人生に大きな影響を与えてしまうことです。難しい試験に受かるのは確かに特筆すべきことだし、努力(と運)があればそれだけの力が出せるという証にもなります。 しかし、若い頃の一つ二つの試験の結果が一生ついて回るというのは苦しいし「今」のその人に対する正当な評価ではありません。
一方で、こちらではそのような学歴によるヒエラルキーというのはほとんど存在しないように感じます。もちろんOxbridgeは歴史的に見てもレベルとしても少し次元が違うので別(そもそも受験システムも他と大きく異なる)ですが、それを除くとほとんど大学の名前に優劣はありません。ここで間違えてはいけないのは、全ての大学が同じようなレベルという訳ではなく、学業が得意な人が集まる大学・そうでない大学がそれぞれ存在するけれどもその違いが社会的な上下関係につながることはないということです。Imperial, UCLのように国際的に高い評価を受けている大学も複数ありますが、そういった大学を卒業している=他大学の人より優れているなんていう言説は今まで聞いたことがありません。日本人は学校名が自身への付加価値であると考えがちなのと対照的に、こちらでは大学はあくまで過程の一つに過ぎないとみなしている節があるように思えます。試験よりもエッセイ(personal statement)を重視して生徒を選ぶというところにも、現状の学力よりその科目に対する熱意や将来性を見るという特徴が表れています。
一つの仮説に過ぎませんが、イギリス社会の学歴・学力へのこだわりの無さがこのような余裕のある受験システムの存在を可能にしているのではないかと考えました。

とはいえ、僕自身はまだFettesという環境でしか過ごしたことがないのでその狭い経験を「イギリスでは~」という大きな主語で語るにはまだ早すぎます。他のパブリックスクールでは受験は日本並みに重要なイベントかもしれないし(Etonあたりでのこの時期の雰囲気が気になるところです)、公立の学校では受験というのがまた違った意味合いを持っているかもしれません。また、学歴社会か否かという問いも実際に大人になれば違う印象を受ける可能性だって十分にあります。今後イギリスで進学し生活していく中でさらなる経験を積み、見識と考えを深めていきたいと思います。