お知らせ

【Christ's Hospital】 Mさん(女生徒・都立日比谷高等学校出身)

2019年に入り、ついにイギリスでの二回目の年越しを迎えました。前回よりも穏やかな冬の寒さを感じながら受験勉強に取り組んでいます。
新学年としての生活も二学期目となり、時間の使い方や生活パターン等に慣れてくるようになりました。周りの環境はこのようにほとんど変わらないのですが、自分自身の中に大きな変化を感じるようになってきました。これは、少しづつ英語で自分を表現する能力が定着してきたからだと思います。今回はこの変化について書こうと思います。

イギリスに初めて降り立つまで、私には根拠のない自信がありました。日本にいる頃は人見知りをしたことがなく、一定のコミュニケーション能力があったのでイギリスでもなんとかなるだろうとただ思っていたのです。その気持ちを大きく崩した最初のきっかけは、英語での独り言や小言の言い方が分からないことに初めて気づいた時でした。ふと思ったことを表現できない。ついさっき起こった面白いエピソードを友達にうまく手早く説明できない。その時に、言葉を話す能力がどれだけ人間関係を作るうえで重要なのかを実感させられました。もちろん、コミュニケーションは非言語的なもの(例えば声のトーン、表情など)にも大きく左右されます。でもそれは、話者がある程度の言語能力を有していることが前提なのです。たとえ声のトーンが低いことから悲しい話だと推測できても、言語自体の理解ができない限りは完全な情報共有は成立しません。「言葉が通じなくても友達になれる」は、長期的な人間関係には適していません。これに気づいたとき、言語能力がどれだけ私の人格(少なくとも、周囲の人から見た私)に影響を与えているかを痛感しました。そして、話している言葉によって性格が変わる、というのも実際にあり得ることなのだと納得しました。

今までの一年半は、周りの人が何気なく言っている言葉に注意を向けていました。疲れた時、面倒なことをやっている時、イギリス人がぼそぼそと呟く言葉を観察してみる。そして時に自分も真似をしました。ただ「今日なんか疲れたー。」と発するだけでも、黙りこくっていることの何倍も自分を周りに知ってもらうことができるのです。声を出して自分の思いを発することがこの国でどれだけ重要なのかは、来てすぐに学びました。そして実際にそれが自然にできるようになってきた今、自分が少しだけステップアップしたように感じるのです。

自分自身の表現が上手くなってきたことで、より多くの人が私がどういう人物なのかを知ってくれるようになってきました。日本語で書くとびっくりするくらい当たり前のことだけれど、二つ目の言語でもこれができるようになってきたのは私にとって大きな進歩です。

先日、オックスフォードから面接で不合格の通知を頂きました。もちろん悔しかったけれど、たくさんの先生や友達が暖かくて大きなハグをくれたとき、私は一人で戦っているわけではないことに気付かされ、大きな励みになりました。もちろん私の英語にはまだまだたくさん改善の余地があるし、これから身に着けていきたいスキルは数えきれないけれど、わたしは今までの一年半の自分の努力や行いに全く後悔はありません。勇気をだして誰かに話しかけたり、英語をうまく話そうと勉強してきたことは私を裏切らないと、今度は「根拠のある」自信がついてきているように感じます。これはひとえに、私のつたない英語を根気よく聞いてくれた周囲の友達のお陰であり、とても感謝しています。
あと半年の高校生活も、止まることなく突っ走っていきます。